みなさん、こんにちは。
このところロンボク島ではビッカビカのお日様が週に1~2度顔を覗かせるようになりました。例年以上に降った今回の雨季も少しずつ終わりに近づいているようです。やはり太陽が見えると心も晴れますね。日本もそろそろ春の兆しが見えてきましたか。
さて、今回から『よりどりインドネシア』の月上旬号で、ロンボク地震から今日までの市井の人々の様子を綴っていきます。
私には、ずっと前からロンボク地震の話をまとめておきたいという気持ちが強くありました。理由は二つあります。
一つは、私自身がロンボク地震の前後に阪神大震災や東日本大震災、スマトラ島沖地震の本を読んで力を得たこと。もう一つは、ロンボク島の人々が震災後の毎日を一日ずつ過ごしていく姿に心動かされたこと。この二つのことから、被災しながらもめいっぱい今日一日を生きた人々の話はきっと誰かの生きる力になると考えました。
図らずも、今、世界が大きく変わっていく時期です。報道でも記録でもない、一個人である私の目で見て感じて考えたロンボク地震と復興の話ですが、この不安定な時代にロンボクの人々の生きざまがどこかで誰かのパワーになったなら、ロンボクの一島民として素直に嬉しく思います。
これまでにも、私は「ロンボクだより」で地震に関する記事を書いてきました。重複する内容も出てくるでしょうが、地震のときに感じたこと考えたことをもう一度すべて棚卸しし直すつもりでいますので、どうか見守っていただけたらと思います。
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どこからどんなふうに書くのか迷いましたが、時系列に沿って書いていきますね。
今回は、のちにロンボク地震の「前震」と言われるようになる7月29日の地震についてです。
・・・と、書いたはいいものの、実は前震のことは2018年7月29日(日)という日付け以外、もうほとんど覚えていません。家族と身近な親戚にも聞いてみましたが、本震の1週間前だったこと以外、誰も何も覚えていませんでした。皆の記憶はその次の本震に全て上書きされてしまっているのでしょう。
インターネット上の情報によると、前震は午前6時47分に起きたようです。朝だったかなぁと記憶を辿っても思い出せず、ツイッターに何か投稿したんじゃないかと探してみたら、ありました。
過去の私によると、長い横揺れで我が家は体感震度で3程度と書いています。私の体感震度はいつものちに発表される情報より低めなので、実際には震度4くらいだったのかもしれません。震源は、我が家から約80km東にある、リンジャニ山麓の地域です。マグニチュード6.4と発表されています。
自分自身のツイッター投稿を見ながら、私は徐々にその日のことを思い出しました。
地震当日は日曜日で、幼稚園の年少クラスに入ってすぐだった娘は夫と家でゴロゴロしていました。私と義母は寝室ではありませんが、室内にいたように記憶しています。突然の揺れで「地震だっ!」とすぐに家族で家の庭に出ました。ロンボク島の家々は耐震家屋ではありませんから、地震があったら、真っ先に軒先まで逃げるのです。
私たちと同様に、ご近所さんも皆、家から駆け出して路地に集まりました。とくに女性たちの悲鳴ともつかぬざわめきが止まりません。ロンボク島ではこの大きさの地震は約40年ぶりでしたので、皆が叫ぶのも理解できます。が、私は地震よりもこのパニック度合いのほうが怖いと思いました。
こんなに我を失って叫ぶだけだなんて。地震を経験しておらず、避難訓練も受けていなければこうなるのだなぁ。私は初めて、日本の小学校や中学校で行なっている避難訓練の意義を肌で感じました。
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