よりどりインドネシア

2021年02月22日号 vol.88

ウォノソボライフ(38):地名をひもとく~ウォノソボとは何か~(神道有子)

2021年02月22日 11:28 by Matsui-Glocal

先日、本棚の整理をしていたら、バンドンの地図が出てきました。学生時代にバンドンに短期滞在した際、真っ先に書店に行って買い求めたものです。スマホや地図アプリはおろか、インターネットもまだインドネシアでは限られた場所にしかなかった頃。何をするにしても、地図なしでは動けないと思ったからです。

私が買った地図を見て、ホストファミリーの大学生の子が言いました。

「いかにも日本人っぽい!インドネシア人は地図なんか見ずにその辺の人に道を聞くよ」。

たしかに、その後あちこちで地図を広げながら道を聞いても、地図上の場所を示すのではなく、結局は口頭で「この先を右折して・・・」といった説明をもらうことが多かったように思います。

そうは言っても、とくに目的なく地図を眺めるのもまた楽しいものでした。「この道はあそこに合流するのかー」とか、「この前行ったとこ、結構距離あると思ってたけど一方通行でぐるぐる回ったからだな、直線距離は大したことない。」などと現実の景色と地図上の図形を徐々に結びつけていきます。

とくに、インドネシアでは日本と違ってほぼ全ての道に名前が付いているのが面白かったのです。また、バンドンはスンダ語圏なので、インドネシア語にはないような発音の地名もあり、それらも興味を引きました。響きが耳に残るもの、意味が印象的なものなど魅力は様々。ゲゲルカロン(geger kalong 直訳するとコウモリの大騒ぎ)なんかはインパクトを受けたものです。

日本、インドネシアを問わず、地名を見るのは好きです。そして、命名の背景や由来が気になったりします。インドネシアで由来が有名なものだと、スラバヤでしょうか。スラ(鮫)とバヤ(ワニ)が争った末に陸と海で棲み分けをしたという昔話からきているということで、像もありますよね。

そんなわけで、今回は改めてウォノソボにある地名のうち、由来が説明されているものを見ていきたいと思います。そもそもウォノソボという名にはどんな意味があるのか、そして、なぜウォノソボはウォノソボになったのか・・・?

●ヒンドゥー教・仏教全盛期

あまり目立ったもののないウォノソボにおいて、唯一アイコンとなっているのが県の北部に広がるディエン高原です。遺跡や火山特有の自然などが広がり、最近ではパラグライダーなどのスポーツも楽しめるようになっています。インドネシア語ではDataran Tinggi Dieng、Dieng Plateau といった表記ですね。

このDiengですが、いくつかの単語が一つになったものだとされています。すなわち、

  • ardi = 山
  • hyang = 神々、祖先の霊など

ardi hyang・・・神々の住む山、といった意味でしょうか。hyangというのはヒンドゥー教の神様の名前によく使われています(Sang Hyang Tunggalなど)。古い時代には、王族の称号にもされていました。しかし元来は超自然的な力を持つ、目に見えない存在のことを指すものだったようです。インドネシア語で、主に集団で行う祈りを“sembahyang”といいますが、これも元はsembah(捧げる)とhyangの2語からきているそうです。(ウィキペディアからHyang: https://id.m.wikipedia.org/wiki/Hyang

そうしたhyangは山のような高い場所を好むものだと言われます。山は天と地が結びつく場所だからです。ディエン高原はhyangが住む場所、または天から降りてくる場所とされました。ヒンドゥー教が盛んになった8世紀頃、ディエン高原にたくさんの寺院が建てられたのはそのためです。

当時、一大勢力を誇っていたのが古マタラム王国でした。古マタラム王国にはヒンドゥー教を信仰するサンジャヤ朝と仏教を信仰するシャイレンドラ朝があり、政権争いを繰り返すのですが、ディエン高原に寺院を建てたのはこのサンジャヤ朝です。

サンジャヤ朝の影響は、ウォノソボの他の地域にも見ることができます。

●王朝の残り香

こちらの地図をご覧ください。

この地図は、県内の各郡を示したものです。最北端にあるのがクジャジャル郡(Kejajar)で、ディエン高原はこのクジャジャル郡にあります。それに南部で隣接しているのが、茶色のガルン郡(Garung)とピンクのワトゥマラン郡(Watumalang)です。

ガルン、という響きは、古マタラム王国マニアには心当たりがある馴染みのものではないかと思います。初代のサンジャヤ王から連なるサンジャヤ朝の王たちの中に、ラカイ・ガルン(Rakai Garung ラカイは王の称号)の名を見つけることが出来るのです。

古マタラムの歴史は主に各地で見つかった石碑を情報源としています。石碑によって王の系統や人数が微妙に違ってくるのですが、ガルン王は初代サンジャヤ王から数えて5番目か6番目、およそ828~847年に王位にあったとされています。

といっても、その時期の古マタラムはシャイレンドラ朝のサマラトゥンガ王が統治していました。サンジャヤ朝はサマラトゥンガ王のもと、自治領を治める立場にあったのです。824年、サマラトゥンガ王はカラントゥンガ石碑を出しています。そこには、とある地に寺院を建てようとしたが、そこがガルン王の領地であったため、彼に許可を求めたこと、そしてガルン王から寺院建設のための土地を譲ってもらったことが書かれています。当時の王同士の関係性が少し見えるエピソードですね。

さて、そのガルン王の名が、なぜウォノソボの郡として残っているのか。一説には、今のガルン郡に宮殿があったのではないかという見方もあります。あるいは瞑想の修行を行ったのではないか、とも。

ガルン王の領地がどこからどこまでだったのか、ハッキリとはわかりません。おそらく今のウォノソボ、トゥマングン県の一部、そしてボヨラリ県あたりまで及んでいたのではないかと見られています。ボヨラリ県バニュドノ郡にも、ガルンという名前の村があるためです。この村は、ガルン王からシマと呼ばれる免税地に認定されたと記録されています。

シマ(Sima)とは何か。王から税を免除、あるいは軽減を許された地域のことを指します。多くの場合、そこに寺院などの宗教施設があり、それを地域が責任持って管理する代わりに税を免除するという形の約束になっています。

ディエン高原で見つかった石碑も、ほとんどは「どこそこの村を誰々という王の名のもとにシマとする」、といった内容のものです。それほどに、王と寺院とシマとは結びつきが強いものでした。

ガルン郡もガルン王からシマに指定された地域だったというのが、前県知事のコリック・アリフ氏の見解です。

ガルン王のシマに関するエピソードとしては、とある村に対して前王が一度取り消したシマの認定を再度認定し直したというものが知られています。寺院を建設・管理するのは王の重要な仕事であり、どこをシマとするのかの判断にも王の政策が表れています。

もう一つ、ワトゥマラン郡です。これも、やはりサンジャヤ朝のラカイ・ワトゥマラン(Rakai Watuhmalang)、あるいはラケ・ウンカルフマラン(Rake Wungkalhumalang)と呼ばれる王に由来するとされています。

ワトゥマラン王は894年に即位して4年後に亡くなっているので、在位は短い期間ではありました。そして彼の指定したシマが今のワトゥマラン郡に当たる地域であったと言われています。

前述のように、ディエン高原はとくに聖なる場所とされ寺院が多く作られました。ディエン高原と隣接するガルン郡やワトゥマラン郡にシマがあったというのは、あり得る話ではないかなと思えます。

●始まりのワナサバ

ウォノソボ、という言葉が歴史上初めて現れるのは15世紀になってから。ジャワ島を席巻していたヒンドゥー教、仏教が徐々に影を潜めていき、イスラム教に取って代わられた時代です。

イスラム教を布教した高名な伝道師たちをワリ・ソンゴと呼び、今でも尊敬されていますが、そのワリ・ソンゴに続く伝道師たちをワリ・ヌクバ(Wali Nukba)と呼びました。各地に派遣されたワリ・ヌクバたちのなかに、『キ・グデ・ワナサバ』(Ki Gede Wanasaba)、或いは『キ・アグン・ウォノソボ(Ki Ageng Wonosobo)』と呼ばれる人物がいたのです。一体どんな人物なのでしょうか。

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