今回の第13信ではこの『見舞い』など全編ジャワ語の映画について、後ほどメインに論じます。
横山裕一様
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
日本もインドネシアも新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない状況が続きますが、日本では昨年から上映が続くアニメ映画『鬼滅の刃』が興行収入記録を更新中、インドネシアでも1月6日から上映が始まっています。
残念ながら私が住んでいるチカランでは全ての映画館が閉まったままなのですが、大学生の長女がアニメオタクなので、先日ブカシの映画館まで一緒に見に行ってきました。漫画原作未読でテレビアニメも未見のため、正直それほど乗り気ではなかったのですが、なるほど興行収入記録を塗り替えただけのことはある、なかなか見ごたえのある映画でした。定員300人程度のキャパシティに対し観客は25人ほどで寂しい思いはしたものの、最前列で大スクリーンを見上げて2時間集中して映画を見る体験はほぼ1年ぶりだったこともあり、大いに満足。あの場面が良かった、あそこがダメだと長女と喧々諤々の議論をしながら帰路についたのでした。
『鬼滅の刃』ポスター シネコン・メガブカシのロビーにて(轟撮影)
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さて、横山さんは前回『スシ・スサンティ:ラブオール』について、私の第11信での批評に返す形で何点かコメントをされました。ご意見に概ね同意するのですが、私自身、第11信では論旨の関係上指摘しなかった点がいくつかあったので、この場を借りて補足説明をさせてください。
まず、横山さんが指摘されている以下の箇所について。同じインドネシア人なのに、なぜ差別を受けなければならないのか。スシ・スサンティと同じ発言は、私もこれまでに何人かの中華系インドネシア人から聞いたことがありますが、大多数の中華系の人々が抱き続けてきた素直な不満だといえます。
映画内では中華系に対する差別行為が明確に描かれますが、その理由と歴史的な背景についてはちゃんと説明されていません。映画の開始早々、「1966年に政府は共産主義を禁止し、民主主義を謳いながら中華系住民には適切な市民権を与えず国籍証明書(SBKRI)を要求した。多くの者がインドネシアを去り、二度と戻らなかった」との字幕が出るのみです。インドネシア初の五輪金メダリストの伝記映画としては、くどくど差別の背景やインドネシア華人の歴史について語る必要はないとの製作者の判断でしょうし、不自然ではありませんが、歴史をよく知らない観客や外国人にとっては若干不親切かもしれません。
とは言え、インドネシア華人の歴史、とりわけジャワのそれを論じるにはこの原稿一回分でも足りないので、非常に大雑把に説明してみます。
インドネシア独立後の1950年代から1960年代の民族主義が高揚した時期において、インドネシアの中華系社会には大まかに二つの政治的潮流がありました。インドネシアという新興国家に中華系というエスニックグループ(インドネシア語におけるsuku)として合流することを目指す「統合派」、逆に中華系という枠組みを解体し現地社会に同化することで中国人ではなくインドネシア人として生きていくことを選択する「同化派」。より細かく見るなら、同じく新興国家として生まれたばかりの中華人民共和国への祖国回帰を目指し父祖の故郷ではあっても自らの生まれた場所ではない中国大陸へあえて「帰国」した青年たちや、あるいはインドネシアから撤退したオランダにアイデンティティを見出し、彼の地へ移住した中華系もいたのですが、ここでは触れません。
統合派と同化派の激しい論争については、インドネシア研究者である貞好康志さんの大著『華人のインドネシア現代史: はるかな国民統合への道』に詳しいので、そちらを読んでいただければと思います。結局、統合派はインドネシア共産党及び中国共産党寄りだったことが災いして、スカルノ失脚後に完全に政治的社会的文化的影響力を失い、9・30事件前から陸軍と近い関係にあった同化派が、スハルト政権の後押しもあり主導権を握ります。中国名から現地風への改名が強く推奨され、中華系学校が閉鎖され、中国発祥の文化が公の場から排除されるなど、体制による華人差別が確立していくのは1960年代後半以降ですが、その一部は同化派の望みでもありました。インドネシア国家への忠誠を誓い、自分たちの生活文化から中国色を薄め、急進的な同化を進めれば、いずれは差別解消につながるはずだという確信が、少なくとも始めのうちは彼らにあったはずですが、結局、こうした同化政策は失敗に終わりました。
理由は多岐にわたりますが、私見では、政府が同化を強要する一方でSBKRIの存在によって華人を他のエスニックグループとは区別して管理の対象としたことが、逆に華人への差別感や蔑視の強化につながったとみています。また、華人と非華人の経済格差をスハルト政権が解消するどころか、むしろ華人財閥と政権中枢の癒着が進み、政権に対する不満のガス抜きとして、財閥ではない中産階級の華人が当局によって半ば意図的に暴動の標的とされた事実も指摘できます。その最大のものが1998年5月暴動であったことは言うまでもありません。
ここで映画『スシ・スサンティ:ラブオール』に戻り、映画内で「中国文化」や「中国的なるもの」がどのように描かれていたか振り返ってみましょう。
主人公一家は典型的な「同化派」として描かれています。まず彼女が生まれたのは1971年で、すでにスハルト時代であり、中国語の使用は公的な場所からは排除されていました。彼女や彼女の兄は映画内で全く中国語や福建語を話しません。彼女の家族はキリスト教徒であることが描かれ、儒教や仏教式の礼拝場面等はなく、漢字表記のものは一切画面に出てきません。彼女の実家には乗用車がなく、長距離バスで父は娘をジャカルタまで送ります。特別に富裕な一家でないことは家の間取りや外観からもはっきり示されます。非常に模範的で典型的な「同化派」華人として描かれていることは、母親がスンダ語まじりのインドネシア語を早口でまくしたてる場面にもよく表れています。私には明瞭に聞き取れないのですが、ひょっとしたら中国語やジャワ語(演じるダユ・ウィジャントは東ジャワ・マランの出身)の単語も混ざっているのかもしれません。
映画内で中国的なるものをあえて指摘するとすれば、食べ物くらいでしょうか。彼女の実家は肉まん(bakpao)作りとその販売で生計を立てており、父は不機嫌な娘に薬膳のチキンスープ(ciapo)を食べるよう促し、恋人アランとのデートではciapoをチキニの有名な店Trioで食べる場面があります(実際のTrio店とは別の場所で撮影した模様)。
このように、主人公とその家族はインドネシアに「同化」していることを過不足なく映画では描いていますが、それにもかかわらず華人として差別迫害される不条理が、ラストで主人公が「私はインドネシア人です、これからもずっと」と力強く宣言する場面へと見事につながり、観客への訴求力を一層強いものにしています。
ただし、本作がドキュメンタリーではなく劇映画である以上、これらの描写が現実を100%正確に反映しているかどうかについては、若干の留保が必要です。たとえば、スシ・スサンティは王蓮香という中国名を持っており、華人社会では中国名でも認識されていますが、そのことへの言及は映画内にはありません。両親がスンダ語交じりのインドネシア語を使う一方、スシはきれいな標準インドネシア語を話しますが、家庭内の会話においても映画のとおりだったのかは実際のところわかりません。彼女が所属したクラブは、「不動産王」と呼ばれた華人実業家チプトラが設立したPBジャヤ・ラヤで、一昨年チプトラが逝去した時には「彼は私の助言者であるだけでなく父であり師だった」と述べるほど近い関係にありましたが、これも映画では描かれません。
ある意味、「政治的に正しい」描写が現実よりも優先されているか、少なくとも事実の取捨選択はされているわけで、それがもっとも端的に示されているのが冒頭、独立記念日イベントでの最初のショットでしょう。中国寺院、モスク、教会がひとつの画面にきれいに収まっている構図ですが、これが国是「多様性の中の統一」を象徴していることは明らかです。実際にタシクマラヤでの宗教施設の位置関係がこのようになっているのか、そもそも中国文化が厳しく抑圧されていた1980年代に真っ赤でド派手な中国寺院が存在できたのか、疑問なしとはしませんが、あるべき理想像を冒頭から提示したシム・F監督の演出意図こそをここでは汲み取るべきなのでしょう。
『スシ・スサンティ:ラブオール』ポスター。 imdb.com より引用。
それから、言葉に関してはもう一点、非常に短い場面ですが、中国語が印象的に使われている箇所があります。インドネシアで国際大会スディルマン杯の開催が決まり、バドミントン協会トップのトリ・ストリスノ将軍(後の副大統領)がインドネシアチームの必勝を命じる席で、中華系のコーチ二人、リアン・チウシアとトン・シンフーは自分たちをインドネシア人として認めるよう処遇改善を直接将軍に訴えますが、言い訳じみた説明ではぐらかされてしまいます。スシの先輩でありコーチでもあるリアンはとっさにトンに中国語で囁きます。この場面には字幕がつかない、いやおそらく故意につけてないので、彼女が何を囁いたのかわかりませんが、将軍は「こいつら、俺にわからない言葉で何を話している?」とでも言いたげに不信の目をほんの一瞬ですが、二人に向けます。直後に体制内の良心的人物であるMF・シレガルが割って入り、緊迫しそうな空気をほぐしますが、非華人のスハルト政権要人が華人をどう見ていたか示唆する重要なシークエンスでした。
劇中に「悪役」を登場させれば、それは当然華人系以外のインドネシア人とならざるをえない。不条理の現実を訴えたいが、訴える相手は観客の大多数を含めてこれまで差別してきた側なので、刺激を与えすぎたくはない、というジレンマが働いているのではないかと思われます。
横山さんが第12信で書かれている以上の指摘はまさにその通りで、「政治的正しさ」と差別の実態及び構造をバランスよく描くことの難しさ、そしてその限界を『スシ・スサンティ:ラブオール』は体現している作品だと言えるでしょう。
以上、インドネシアでは現在、ディズニープラス・ホットスターで独占配信されている『スシ・スサンティ:ラブオール』について、補足解説をしてみました。インドネシア映画における華僑華人表象の変遷と中華系映画人の歩みというテーマは、いずれ別稿にて改めて論じたく、その際は本作も勿論対象作品に含めたいと思います。
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前置きが随分長くなってしまいました。今回は、前回第11信で予告した通り、インドネシア映画における言語選択の政治性という観点から、昨年ネット上で非常に話題となった『見舞い』(原題:Tilik)、そして2015年のインドネシア映画祭にて最優秀作品賞に選ばれた『シティ』(原題:Siti)を取り上げてみます。前者はYOUTUBEにて誰でも視聴可能、後者は配車サービスGOJEKが運営しているGOPLAY など複数の動画配信サービスでインドネシアでは見られます。
『見舞い』 ( Tilik ) 、YOUTUBEで視聴可能。インドネシア語と英語の字幕付き。https://youtu.be/GAyvgz8_zV8
今回この2作を取り上げてみたいと思ったのは、共にインドネシア映画でありながら、登場人物たちが主に話す言語がインドネシア語ではなくジャワ語であり、その選択が物語の面白さやユニークさと密接な関係にあるためです。先述の『スシ・スサンティ:ラブオール』でも、登場人物がどんな言葉を話すかという視点から若干の分析を試みましたが、実はあらゆるインドネシア映画は、登場人物が使う言語の選択には必ず政治性が宿っています。これは昨日今日の話ではなく、「インドネシア映画」が誕生した1926年から現在まで、言語選択の政治性とはすべてのインドネシア映画に含まれる要素と言ってもいいかもしれません。が、このテーマを掘り下げると「そもそもインドネシア映画の定義とは何か?」という根源的なところから話を始める必要があるため、今回は紙面の関係上省略し、まずはこの魅惑的なジャワ語映画2作を先に論じたいと思います。
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