ムラピ山の火山活動がまた活発になってきている。2021年1月4日に溶岩流の噴出が確認され、9日には7回にわたって、ムラピ山から西へ向かって流れて中ジャワ州とジョグジャカルタ特別州の境をなすクラサック川の上流方向に600メートル溶岩が流出しているのがみとめられた。火口から100メートル上空まで火山ガスが噴出している様子も観察されている。1月15日現在の警戒レベルは、4段階のうちの第3段階「警戒」(siaga)だ。
2021年1月6日に撮影されたムラピ山火口付近。KOMPAS.com https://www.kompas.com/tren/read/2021/01/09/170500065/lava-pijar-mulai-terlihat-kenapa-status-gunung-merapi-masih-siaga?page=all より
ジョグジャカルタ特別州と中ジャワ州にまたがるムラピ山は、数あるインドネシアの火山の中でももっとも活発な山の一つだ。近年では2006年と2010年に大規模な噴火を起こしている。この二度の噴火で注目されたのが、火砕流が流れ下った方角だった。それまでは東西へ流れることがほとんどだった火砕流が、ジョグジャカルタの町がある南へ向けて流れたのである。
2006年の噴火の際に、ムラピ山南面の山腹のゲゲル・ボヨ(Geger Boyo:鰐の背)と呼ばれる丘状に隆起した部分が崩壊した。このゲゲル・ボヨがこれまでムラピ山南部の村々とジョグジャの町を守っていると信じられてきたが、それが崩壊したために、火砕流や熱灰が南部を襲い、甚大な被害をもたらした。
2010年の噴火はさらに大きな被害を引き起こし、ゲゲル・ボヨに守られてムラピの怒りを必ず免れると信じられてきた伝説の集落キナーレジョ村も壊滅状態となった。ムラピ山の山守(Juru Kunci)のマリジャン翁(Mbah Maridjan)が、キナーレジョ村の自宅跡から遺体となって発見されたことも、大きな話題となった。
マリジャン翁(中央)。ボクサーのクリス・ジョン、ボディビルダーのアデ・ライとともに栄養ドリンク Kuku Bima Ener-Gの広告塔になった。(https://id.wikipedia.org/wiki/Kuku_Bima_Ener-Gより)
●ゲゲル・ボヨの幽精
ゲゲル・ボヨの崩壊とムラピ山南部を襲った惨状を目の当たりにして、何代にもわたってムラピ山とともに暮らしてきたジャワの人々の頭に浮かんだのは、「とうとうキ・ジュル・タマン(Ki Juru Taman)がジャワの地を去ったのか」ということだったという。
キ・ジュル・タマン(juru tamanの文字通りの意味は「庭師」)は、16世紀半ばから18世紀半ばまで現在のジョグジャカルタを中心に栄えたマタラム王国の開祖セノパティ(Senopati)と関係の深いジン(Al-Jinn: 幽精)だったらしい。ムラピ山の火口近くに宿って、マタラム王家とムラピ山南部に位置する都とその周辺地域を守ると、セノパティと約束した。ただし、ジャワ人がジャワ人の伝統を忘れ、本来のジャワ人らしさを失ったとき、キ・ジュル・タマンはジャワの地を去る。それが条件だったと伝えられている。そしてマタラム王国を守るためにキ・ジュル・タマンが宿った場所こそがゲゲル・ボヨだと考えられてきたのである。
『ジャワの地の物語:妖魔の世界』(Kisah Tanah Jawa: Jagat Lelembut)という本のイラストでは、キ・ジュル・タマンは超人ハルクやシュレックを思わせるような緑の巨人として描かれている(次写真)。同書によると、もとはマタラム王国の宮廷に仕える下僕で、正直で朴訥な男だったが、ある間違いを犯したために魔人の姿に変えられてしまった。その後もマタラム王家に忠誠を誓い、王国をムラピ山の怒りから守る役割を担ったという。
ちょっと話は飛ぶが、この本はポチョンやクンティラナックなどのよく知られた妖怪変化をはじめ、南海の女王ラトゥ・キドゥルや人形を使った降霊術のジャイランクンなど、ジャワで知られる異界のものを網羅していて、なかにはHantu Jepang(日本の亡霊)という項目まである。主に日本軍侵攻とともに持ち込まれた亡霊や妖魔で、その影響によって、日本軍はより勇敢で自信にあふれ、残虐な振る舞いができたと解説されている。日本の亡霊のラインナップは、日本兵「キシモト」、「マツモト」、「首なし兵」(切腹する亡霊)、「キツネ」(女の妖魔の背後に九尾の狐。『NARUTO–ナルト—』の影響だろうか?ジョグジャ南部のGua Jepang(日本軍の洞窟)に封じ込められているらしい)、「青鬼」、「従軍慰安婦」(Jugun Ianfuと表記されている)である。
(以下に続く)
- 『ジャワ年代記』のキ・ジュル・タマン
- 魔法の卵
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