よりどりインドネシア

2021年01月08日号 vol.85

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第11信:スポーツ映画とナショナリズムの関係(轟英明)

2021年01月08日 10:47 by Matsui-Glocal

横山裕一様

コロナ禍で始まった2020年が間もなく終わろうとしていますが、横山さんはいかがお過ごしでしょうか。結局、今年は数えるほどしか映画館で映画を観られずに終わりそうですが、この連載を始めたことでネットフリックスをはじめとする動画配信サービスで集中的にインドネシア映画を観る習慣ができました。人間万事塞翁が馬、かもしれません。

ところで、横山さんが前回、第10信の冒頭で言及された2020年度のインドネシア映画祭(FFI)の結果はかなり画期的なもので、インドネシア映画を長い間見てきたファンとしては快哉を叫びたくなりました。とくに作品賞や監督賞ほか6部門を制した『呪いの土地の女』(原題:Perempuan Tanah Jahanam)は昨年映画館で観た時から、背筋も凍る極上のホラー映画として個人的に絶賛してきただけに、本当に嬉しい限りです。

ベテラン女優のクリスティン・ハキムが今回最優秀助演女優賞を受賞した瞬間を動画中継で見ていた時には、思わずガッツポーズを取ってしまったほどでした。サイコホラーものの古典『羊たちの沈黙』シリーズの主人公・レクター博士に匹敵する、稀に見る凶悪な鬼婆役ですが、本人は脚本を読まずに監督への信頼感から出演を快諾したそうで、映画公開時の宣伝動画では「とっても凶悪な役で驚いた」と茶目っ気たっぷりに語っていた姿が思い出されます。同作は2020年度米国アカデミー海外映画賞インドネシア代表作品としても選出されており、近い将来日本でも公開されることは間違いなく、後日改めて徹底的に論じさせてください。

今回は前々回からの続きで、インドネシア映画におけるスポーツものとナショナリズムの関係を、横山さんが紹介済みの『スシ・スサンティ:ラブオール』(原題:Susi Susanti : Love All )、『三本の白羽の矢』(ネットフリックス日本語題、原題:3 Srikandi )、『6.9秒』(原題:6,9 detik )の三作品から読み解き、さらに他国のスポーツ映画と比較しながら、その特徴と今後の展望を論じてみたいと思います。

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『スシ・スサンティ:ラブオール』 filmindonesia.co.id より引用

まずは、横山さんが第6信で言及済みの『スシ・スサンティ:ラブオール』から。本作は先日のFFIでは13部門でノミネート、最終的にローラ・バスキが最優秀主演女優賞を見事に受賞しました。実話スポーツものとして水準以上の出来栄えとなったのは彼女の演技に負うところが大きく、受賞は非常に順当な結果だったと思います。

インドネシア初の五輪金メダリストとなったバドミントン選手スシ・スサンティの少女期から引退までの全盛期を編年体で描いた本作は、観客と批評家の両方から高評価を受けました。その理由は、優れたスポーツものにおいて必要不可欠な二つの要素を丁寧にしっかりと描写したことにある私は考えています。

まず一つ目の要素は、観客に嘘っぽさを感じさせない、極めてリアルな練習や試合の場面が再現されている点です。第9信で私が言及した『ガルーダを胸に』2部作がやや物足りなかったのは、スポーツものでありながら、肝心の練習や試合の場面に臨場感が欠けていたためでした。細かくカットを割ることで観客に試合のスピード感を伝えようと努力はしているものの、成功しているとは言い難い場面が散見されて正直惜しいと感じました。

しかし本作の場合、負けん気の強い主人公が独立記念日の町内バドミントン大会でクラシックバレエのユニフォームのままで出場して勝ってしまうという、実に痛快な場面から始まります。快調な滑り出しであり、その後は地味な練習場面が続くものの、バドミントンに詳しくない観客も飽きさせず、且つ手抜きもせず丁寧に描写。試合場面においても、短いカットを繰り返すだけで誤魔化すような小手先はほとんど目につかず、俳優本人に演じさせている場面の多いことがプラスに作用しています。スポーツものを一種のアクション映画と定義するなら、肝心のアクション、すなわち俳優が選手になりきって動く場面が嘘っぽいままでは観客は映画に入り込めないわけで、その点本作の「アクション」は及第点以上と断言していいでしょう。

そして二つ目の要素は、実話ベースのドラマ部分、とりわけ本作のテーマと言ってもいい、華人に対する差別の実態をぼやかさず真正面から描いた点です。横山さんも言及しているとおり、ほかのスポーツ偉人伝とはかなり違う、単純なサクセスストーリーを超えた、非常にメッセージ性の強いスポーツものであると指摘できます。具体的には、パスポート作成や結婚時に必要な国籍証明書(SBKRI)取得が彼女のようなトップアスリートですら非常に困難であったこと、彼女が中国系の容貌であるため道路上の売り子から「ケチな吊り目!」と蔑まれる場面、中国籍を持つ華人コーチが中国系であるというだけで政府から公平に処遇されない実態、そして反華人暴動の渦中で彼女の実家が襲われる終盤の展開などなど、華人全般に対する迫害や差別が様々な形で観客に提示されます。

審判による試合開始の宣言「ラブオール」の精神を諭す父との会話、後に結婚する男性シャトラーのアラン・ブディクスマ(金メダリストカップル!)と80年代ファッションでのデートなどもなかなか忘れがたい名場面ですが、ドラマのクライマックスは、彼女がアトランタオリンピック出発前の記者会見で自身への差別的処遇を公に暴露する場面、そしてスハルト退陣直前という政治的激動と暴動の渦中での参加となった香港での国際大会で「私は中国人ではなくインドネシア人です、これからもずっと」と力強くインタビューアーに応える場面でしょう。かつては公に話すことがタブーに近かった華人への差別問題が、改革期が始まって20年経った現在、映画の中でもようやく真正面から語られ再現されるようになったという事実に、大袈裟かもしれませんが、私は感慨深いものを感じました。

無論、華人への差別は歴史的に形成された根の深い問題なので、たった一本の映画だけで状況が変わることはありません。しかし、不特定多数の観客を前提とする娯楽映画のなかで、上記のような描写が可能となった事実こそ、時代は少しずつ前進していることの証明ではないでしょうか。本作はローラ・バスキの名演と共に、インドネシア映画史における華人もの又はスポーツものの中でもとりわけ差別の実態をはっきり描いた画期的な作品として、これからも長く記憶されることでしょう。

しかしながら、本作を単体の映画として客観的に評価した場合、物語の構成と脚本に弱点があることも指摘せざるを得ません。本作は通常のスポーツものとは異なり、物語上の一番のクライマックスを主人公がバルセロナオリンピックで金メダルを獲得した瞬間には設定しておらず、終わり方がやや尻切れトンボのように感じられてしまうのです。

Air Mata Susy Susanti Tak Jadi Foto Headline Harian Kompas, Mengapa? (YOUTUBE より引用。金メダル授賞式でのスシ・スサンティの涙とそれを報じた日刊紙KOMPASの裏話。映画の一場面も含む)。https://www.youtube.com/embed/ymi9EqU_p64?feature=oembed

主人公がインドネシア国家への忠誠を表明した直後で終幕となるのは、金メダリストの伝記ものとして忠実に彼女の軌跡を再現しようとした結果と推測されます。しかし、スポーツものとしてこの終わり方は、アンチクライマックスとは言わないまでも、何かしらバランスの悪さが気になります。違和感と言ってもいいかもしれません。これで終わりにしていいの?という疑問。

私が本作を映画館で鑑賞したのはちょうど1年ほど前ですが、あの違和感の正体を今改めて振り返ってみると、スポーツものではないものの同じく華人を主人公とした『アホックと呼ばれる男』(A Man Called Ahok)を観た直後に感じたものと同様の違和感だったと気づきました。それはつまり、民族差別や人種差別という根深い問題を、ナショナリズムという「都合のいい魔法」で解決しようとするのは、あまりに安易なのではないかという疑問です。スハルト政権によって公に差別されてきたインドネシア華人というマイノリティが国家の庇護を求めて忠誠を誓うことに対して批判することには、正直ためらいを感じますが、しかしやはりそれは違うと思うのです。個々人が国家への忠誠を誓うことで本当に現実の差別は解消されうるのか?

と言うのは、金メダリストで国家の英雄でもあるスシ・スサンティは、国家に栄誉をもたらした存在であり、忠誠を誓うことで諸々の差別的処遇から脱することができますが、それは結局のところ才能主義の無条件な肯定に向かってしまう危うさを秘めてないでしょうか。特別な才能をもたない、国家に貢献しない大多数のマイノリティは、一人の天才や英雄が顕彰される陰で、引き続き構造的差別から抜け出すことができない。これこそブラック・ライブズ・マター(BLM)運動とそれに触発された様々な反差別運動が世界中で吹き荒れた2020年の世界の現実ではないかと思います。

そうした構造的差別という現実の問題を一本の映画ですべて描き切ることは私の高望みなのかもしれませんが、方法がないわけではありません。たとえば華人に対する様々な偏見を打破することに焦点を合わせて物語を構成するなら、華人に偏見をもつ差別的な人物を主人公の近くにあえて配置し、彼/彼女が主人公のプレーを見て認識を改めるプロセスを物語に組み込むことができたはずです。また、編年体ではなく回想の形で物語を語り時系列を変更していれば、金メダル獲得の瞬間を最高のクライマックスに設定して、主人公の達成感と観客の高揚感を物語内で無理なく一体化できたように思えます。あるいはもっと赤裸々に、スハルト政権上層部に華人への差別的処遇を正当化する論理をあえて語らせて、それを代表チーム全員が反論し、結果だけでなく普段の行動とプレーでもって自分たちの正しさを証明する、そんな脚本も可能だったのではないでしょうか。

本作では、ルクマン・サルディ演じるバドミントン協会の重鎮が主人公ら華人選手の側に立って差別的な処遇の改善を試みます。彼は体制内の良心的人物として描かれていますが、差別問題が解決されるためには良心的人物の存在だけでは不十分で、「非良心的人物」が良心的人物に変わっていく過程こそが差別解消への第一歩になるのではないでしょうか。本作では差別的行為は明確に描かれるものの、それをおこなう「非良心的人物」が人格をもった存在として深く描かれることはなく、その不在が物語の中途半端な終わり方にも影響を与えていると思われます。

劇中に出てくる国籍証明書(SBKRI)の発行はすでに公式に廃止され、華人文化への抑圧政策も撤廃されて久しく、華人の社会的法的地位はここ20年でだいぶ改善していますが、現在でもなお華人への偏見や差別的見方はインドネシア社会から払拭されたわけではありません。だからこそ、スシ・スサンティが国家に栄光をもたらしながらも差別を受け、それでもなお国家に忠誠を誓ってめでたしめでたしとするのではなく、もう一歩先まで描いて欲しかったなあと残念に思うのです。

以上、『スシ・スサンティ:ラブオール』の見どころと欠点について、やや辛口ぎみに分析してみました。本作は2021年1月1日からインドネシアの動画配信サービスDisney+hotstar で配信開始となるので、未見の方には是非視聴していただきたいと思います。

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