よりどりインドネシア

2020年11月07日号 vol.81

再登場した食料基地プロジェクト(松井和久)

2020年11月07日 20:37 by Matsui-Glocal

新型コロナウィルス感染拡大が続くなか、国連食糧農業機関(FAO)は世界に向けて食料の安全保障の必要性を訴えています。

インドネシアでも、新型コロナウィルス感染拡大の影響が長期化し、2020年第2四半期に続いて、第3四半期もGDP成長率がマイナスとなりました。2020年前半の食料生産はほぼ例年通りだったものの、年後半は、このところの異常気象とともに、ラニーニャの影響を受けた雨季の長期化が懸念され、農業生産の雨季作に悪影響が出るかどうか、食料の安全保障の観点から注目しています。

ここ数年顕著になった現象としては、インドネシアにおける米の収穫面積と生産量の減少が挙げられます。その状況については、2020年8月8日発行の『よりどりインドネシア』第75号の「インドネシア米農業の現状を概観する」で取り上げ、分析しました。

 「インドネシア米農業の現状を概観する」https://yoridori-indonesia.publishers.fm/article/22632/

こうした状況を受けて、ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領の下での現政権は、米の国内自給にこだわる姿勢を弱め、輸入も含めての食料需給確保というより柔軟な姿勢を見せています。その一端は、2020年11月2日に発効したばかりの雇用創出法(オムニバス法)の第64条(食糧に関する法律2012年第18号第36条)において、旧条文の「国内生産が需要を満たせない場合に限り輸入」が「食料輸入は国内需要を満たすために実施する」と改訂されたことにもうかがえます。

それでも、食料確保を輸入ばかりに頼る訳にもいきません。そこで、ジョコウィ政権が掲げたのが「食料基地」(Food Estate / Lumbung Pangan)プロジェクトです。このプロジェクトには、ジャワ島以外の場所に一定の広大な用地を確保し、そこで食料生産を行うことで、インドネシアにおける食料の安全保障を確保する、という狙いがあります。

この話を聞いて、インドネシアと長くお付き合いされてきた方は「おや?」と思ったかもしれません。実は、この「食料基地」構想はこれまでに何度も出され、そして、その多くは失敗してきたものでした。人口稠密で面積の狭いジャワ島、人口希薄で面積の広い外島、となれば、外島で資本集約的に食料を生産してジャワ島へ供給する、というのは、誰でも考えることでしょう。「食料基地」構想の再登場となった訳です。

2020年7月9日、農業大臣、国防大臣、公共事業・住宅大臣、地元県知事らとともに、中カリマンタン州の食料基地プロジェクト予定地で記者会見を行うジョコウィ大統領。(出所)https://kaltengpos.co/berita/-49727-pembangunan_food_estate_di_kalteng_antisipasi_krisis_pangan.html

今回は、再登場したジョコウィ政権の「食料基地」プロジェクトについて考えてみます。今回の「食料基地」がどのような経緯で出てきたのか、中身はどうなっているのか、うまく進みそうなのか、また失敗するのか、といったことをみていきます。その前に、過去に構想として挙げられ、そして、多くが失敗に終わった食料基地(または米作基地)の歴史をざっと見ておきたいと思います。

●これまでの食料基地の歴史

インドネシアで最初の食料基地は1939年、当時のオランダ植民地政府が現在のパプア州メラウケ県に相当する場所に作ったクンベ米作基地(Kumbe Rice Estate)です。オランダは第二次世界大戦に備えて、メラウケを穀倉地帯化し、アジア太平洋地域へ食料を供給しようとしました。ジャワ島から農民を移住させ、政府管理の下で、広大な水田で近代的な農業を植え付けました。オランダによる食料基地管理は、パプアがインドネシアへ併合されるまで続きました。

これまでの食料基地(米作基地)の立地。(出所)https://kompas.id/baca/riset/2020/08/27/pedang-bermata-dua-ketahanan-pangan/ に掲載された地図を一部トリミング

1973年には、スハルト大統領(当時)がボゴール農科大学で「外島に米の生産基地をつくる必要がある」と演説しました。その後1974年、国営石油公社プルタミナのパイロット事業として、米国企業のコンサルティングの下、南スマトラでパレンバン米作基地(Palembang Rice Estate)プロジェクトが開始され、世界最大規模の2万ヘクタールの水田に農業機械と化学肥料を投入し、生産性も大きく高まりましたが、プルタミナの債務危機によりプロジェクトは終了しました。それでも、その後の「緑の革命」のプレ事業的な役目を果たしました。

高収量品種の導入と化学肥料の多投による「緑の革命」で、世界最大の米の輸入国だったインドネシアは1980年代前半に米の国内自給を達成し、スハルト大統領(当時)は1984年に国連食糧農業機関(FAO)から表彰されました。それでも、人口が年3%弱上昇し続けるなか、米の増産は重要課題であり続けました。

1995年、政府は、中カリマンタン州の泥炭地100万ヘクタールを開墾し、水田化するプロジェクトを開始しました、年200万トンの米生産を目指し、3兆ルピアの予算を投じた一大プロジェクトでした。しかし、科学的見地を無視して実施されたため、約5600万立方メートルの森林が消失し、乾季には地中の泥炭が燃えることで煙害の原因となり、さらに大量の二酸化炭素が放出されることになりました。2000年までに1万5,600世帯が移住し、3万1,000ヘクタールが耕作されましたが、米作は全体の1~2%に留まり、生計を立てられない移住者が去っていきました。そして環境リハビリに3兆ルピアがかかりました。

ユドヨノ大統領の時代になると、再び、パプア州メラウケでの食料基地構想が復活しました。メラウケは、オランダが去った後も、ジャワ等からの移住者によって米作が続けられ、パプア州有数の穀倉地帯の地位を維持していました。2006年4月、メラウケ統合米作基地(Merauke Integral Rice Estate)が開始されました。当初は食料生産を意図していましたが、2008年にメラウケ統合食料・エネルギー基地(Merauke Integral Food and Energy Estate)へ変更されました。

「世界を養う」をモットーに、123万ヘクタールの耕地の50%を食料、30%をサトウキビ、20%をオイルパームに割り当て、年産で米195万トン、トウモロコシ202万トン、大豆16.7万トン、砂糖250万トン、牛6.4万頭、オイルパーム93.7万トンを生産する野心的な計画でした。日本の三菱商事やサウジアラビアなどからの外資も参入し、サウジアラビアへの食料輸出なども企図されましたが、現地住民と土地紛争が生じて土地収用が困難になったことに加え、リーマンショックの影響で外資が手を引いたため、構想段階で頓挫しました。

メラウケ統合食料・エネルギー基地のグランドデザイン。(出所)https://www.researchgate.net/figure/Government-map-of-the-Merauke-Integrated-Food-and-Energy-Estate-project-MIFEE_fig5_322272079

ユドヨノ政権は、メラウケに代わる食料基地として、2011~2012年に西カリマンタン州クタパン県の10万ヘクタール、東カリマンタン州(現・北カリマンタン州)ブルンガン県の30万ヘクタールの開発を進めようとしましたが、実際に実現したのは前者が100ヘクタール、後者が1,024ヘクタールに留まり、事実上、失敗に終わりました。

これらの食料基地の失敗の要因としては、泥炭地にみられるような土地の不適性、灌漑水路や輸送に関するインフラの不備、その土地や作物に適応した栽培技術の不足、土地収用などでの社会経済的要因、などが考えられます。オランダ時代のメラウケや米国の指導を受けたパレンバンの事例を除いて、他の事例は、科学的見地に基づいて周到な準備の下で実施されたとはなかなか言い難いものがあります。

今回、ジョコウィ政権が始めた食料基地プロジェクトは、これら過去の事例をどこまで教訓として学んだのでしょうか。食料基地プロジェクトが出てきた経緯から判断すると、残念ながら否定的に考えざるを得ない面が大きいと思われます。それはなぜなのか、以下で見ていきたいと思います。

(以下に続く)

  • 単なる食料生産ではない企業型農業
  • 中カリマンタン州の食料基地プロジェクト
  • 北スマトラ州の食料基地プロジェクト
  • 農業省と国防省
  • 中期開発計画に載らない国家戦略プロジェクト
  • 私見と今後の見通し
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