よりどりインドネシア

2020年10月22日号 vol.80

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第7信:スポーツ映画と国民統合(轟英明)

2020年10月22日 19:29 by Matsui-Glocal

横山裕一様

ジャカルタのPSBB(大規模社会的制限)が1ヵ月の間に強化されたと思ったら今度は緩和されたりと、COVID19対策の現状は一進一退ですが、如何お過ごしでしょうか。一時は映画館の営業が認められるとのニュースも聞こえてきましたが、時期尚早として立ち消えになってしまったようです。成人になって以降、これほど長い期間映画館のスクリーンで映画を見なかったことはなく、寂しさを感じる一方、動画配信で旧作や新作をじっくり見る時間が増えているのも事実で、これを「ニューノーマル」として受け入れるしかないのかなと諦観に似た思いを抱いています。

さて、横山さんからの前回第6信では、私が提起した「地方映画」の意義について『フンバ・ドリームス』と『ティモール島アタンブア39℃』は作品の性質が違うのだから比較は難しいのではないか、とのご意見をいただきました。作品の性質が違うことは十分理解したうえで、しかしながら横山さんの論旨に私は納得していないことをまずは表明しておきます。

前者をお伽話として擁護するのは、欲情するアナを自分の夢に見たのち彼女と行為に及んで満足し、さらにスンバの誇りである馬に乗ろうとする素振りすら見せない「不誠実な」マーティンを擁護するのに等しいと思われます。が、こうした解釈の違いが露わになることこそが往復書簡を交わす醍醐味ですので、あとはこの往復書簡を読まれる読者の方々にここで紹介している映画を見ていただきそれぞれ判断していただければと思います。

第6信で、横山さんは、地方映画として『言葉にするのはやめておこう』(Istirahatlah Kata Kata)、『サラワク』(Salawaku)、『墓参り』(Ziarah)、『イスラムを教えて』(Ajari Aku Islam)などを挙げられていますが、ネットフリックス等の動画配信サービスにアップされてない作品が多く、残念なことにいずれも私は未見です。ただし、ジャカルタ首都圏外の地方を舞台にしただけでこれらを「地方映画」と呼ぶのはやや不適切と考えています。

もっとも重要なのは画面内で使われる言語の選択で、もし全編で標準インドネシア語のみが使われているならば、それは「地方映画」を抑圧し「国民映画」の育成に力を注いだスカルノ及びスハルト時代の一般的なインドネシア映画と何ら変わらないと言えるでしょう。もうひとつは地方文化をどのように表象しているか、あるいは隠蔽しているか、そのあり方が最終的に「地方映画」とそれ以外の映画を区別する手掛かりになると考えています。

そうした視点から第4信で横山さんが紹介された『東からの光 私はマルク』(Cahaya dari Timur: Beta Maluku)を分析するならば、同作は地方映画であると同時に政治性を含んだスポーツ映画でもあると言えます。今回、ネットフリックスで改めて再見しましたが、2014年のインドネシア映画祭(FFI)で最優秀作品賞に選ばれたことが納得できる、良質の映画であることは言を待ちません。ただし、日本人が一般的に連想するスポーツ映画と本作が大きく異なるのは、冒頭が1998年のマルク紛争の緊迫した場面から始まることでしょう。

チコ・ジェリコ扮する主人公サニは元サッカー選手で、今はオジェック(バイクタクシー)運転手として生計を立てているものの、10歳くらいの子供たちが紛争に駆り出される状況に心を痛め、サッカーを教えることで彼らを紛争から遠ざけようとします。彼の地道な努力が実を結び、状況が落ち着いた数年後には地元のサッカー大会に出場できるレベルにまでなるものの、妻からは収入減と自分の子供への世話を顧みないことをなじられ、ともに少年たちを指導してきた友人には裏切られて前半部分を折り返します。

後半では州代表チームの監督に任命されたサニが、資金不足やチーム内の不和、そして逃げられた妻との関係をどう修復するか悩みながら、最終的にチームが全国大会で優勝するまでを地元アンボンの歌をBGMとしてふんだんに織り込みながら感動的に描いています。実話が元になっているだけに、リアリティにはかなり気を配っていることがアンボン訛りのインドネシア語、キャストや美術からは伺え、予定調和的なストーリー進行があまり気にならないことも本作の美点でしょう。とくに音楽はいずれの曲も聴き応えがあり、これはプロデューサーを務めたミュージシャンのグレン・フレドリー(ジャカルタ生まれのアンボン人)の貢献が大きいはずで、地方映画としては合格点以上の出来栄えです。

『東からの光 私はマルク』ポスター。FilmIndonesia.co.idより引用。

一方で、本作の制作をアンボン市など公的機関が支援したためなのか、住民間の和解と統合を優先するかのような描写が散見されます。私が本作を「政治性を含んだスポーツ映画」と評するゆえんです。

要は当時のマルク紛争がなぜ起きてどのように拡大し最終的にどのように終結したか、そうした描写は映画内では皆無です。選手同士の不和が過去の紛争に原因があることははっきり映画内で見せているものの、選手たちの父親や母親が対立する勢力、場合によっては治安部隊に間接的直接的に殺害されたことには軽く触れているだけで、喧嘩両成敗的にお互い様だという会話以上には映画内では進展しません。

だいぶ意地悪な見方をすれば、全国少年サッカー大会は、マルク住民の和解を促進する舞台として利用されているにすぎず、マルク州外のチームの存在は等閑視されています。これは物語の構造上しかたないこととは言え、サニが妻との関係に悩むパートを別とすれば、本作にはマルク人以外でも共感できる要素が若干欠けているため、また肝心のサッカーの練習や試合の描写がラストのPK合戦まではやや平板で、少年たちのキャラクターの描き分けも若干不十分なことが、観客動員数が25万人で留まった理由ではないかと思います。

実は本作とテーマがほぼ同じで、あらすじもよく似ている、東ティモールを舞台にした韓国映画があります。日本では映画祭などの特別な場で、インドネシアでは劇場公開され、DVDも発売された『裸足の夢』という少年サッカー映画です。2010年度米国アカデミー外国語映画賞韓国代表作品に選ばれており、紛れもない感動作として強くおススメしたい作品です。

『裸足の夢』ポスター。Wikipedia より引用。

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