9月6日、義母が他界しました。
義母は8月末日から一切の食事をとらなくなっており、私たち家族は心の準備はできていました。本人もそれほど苦しまずにあの世へ行けたように思います。
イスラム教では死後24時間以内に土葬をすることになっていますので、そのまま速やかに葬儀の準備にとりかかりました。私は、そのうちのマンディ(湯灌)を担当しました。
今回のロンボクだよりでは、この最後のマンディについて書いていきます。
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故人の死後すぐに行うマンディでは、遺体をきれいに洗い清めることが主目的です。私たちのところでは、男性が亡くなった場合は男性が、女性が亡くなった場合は女性が遺体のマンディを行うことになっています。
私の住むところには葬儀屋はありません。お葬式のすべてを家族親族の手で行います。義母は生前に、自分が亡くなった場合は誰にマンディをしてほしいかを私たちに話していました。
義母が指名したのは、第一夫人のSさん、M叔母さん、長男の嫁のA姉さん、そして故郷にいる義母の姪でした。しかし、A姉さんはほかにもすべきことが多々ありましたし、義母の故郷は遠く、姪の到着を待ってからマンディをすることは難しいと思われました。
あと一人誰か!と言われたので、私は「私が洗います」と申し出ました。私にはA姉さんに続いて介護をした自負がありました。親戚のうち年配の女性たちは誰も文句はいいませんでしたし、むしろ「そうだ、みどりがマンディしなさい」と背中を押してくれました。
村でマンディを取り仕切れる女性を呼んできて、さあ、はじまりです。
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マンディを行うのはブルガです。ブルガとは、日本の東屋のように、壁のない、高床で屋根と柱だけの建物です。だいたいどこの敷地にも一つはあり、日頃はちょっとした憩いの場やお客様のおもてなしの場として使います。ブルガは木製で、床面は少し隙間がありますので、そのうえで体を洗っても水が下に落ちるのです。
東屋のようなブルガ。ここで義母をマンディしました。
まずは、ブルガの天井に布を張ります。誰に聞いても「そういう習わしだ」としか返答がないので詳しいことはわかりませんが、亡くなった日から9日間はブルガの天井に布を張るのだそうです。布はモスクから借りたもので、緑色の地に黄色でコーランの一節と思しきアラビア語がみっちり書いてあります。もう文字が擦れていて何が書いてあるのかは判読できません。
次に、ブルガに遺体を持ち運んできます。これは男性陣の仕事ですね。遺体が運ばれたら、すぐにブルガの四方を布などで覆います。遺体を見られることのないように配慮しているのだと思います。それから、義母の着ている服やオムツを脱がせます。といっても、死後硬直が始まる前に服は脱がせていますから、オムツと髪ゴムを外すくらいですね。
ブルガの脇に、見たことがないほど大きなポリバケツが2つ据えられ、そこになみなみと水が張られます。これに柄杓を添え、ほかには普通の固形石鹸とシャンプー剤、香りのいい葉っぱと白い石?をすり潰した粉と水とをブレンダーで攪拌したもの(以後、香水と記載)、お墓参りのときにもっていく色とりどりのお花を用意します。これで準備完了。
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