轟英明 様
『ゴールデン・アームズ』(Pendekar Tongkat Emas / 2014年公開)は、轟さんが仰るように裏切り、復讐、勧善懲悪と、香港のカンフー映画にも見劣りしない内容でしたね。日本でも2012年に公開された『ザ・レイド』(THE RAID)が現代アクション作品の決定版であれば、『ゴールデン・アームズ』はインドネシア武術時代劇としてとても見ごたえのある作品だったと思います。
ご指摘のように、残念ながら公開当時あまり話題にならなかったのは、やはりインドネシアの若者が映画においてはハリウッド嗜好にあることが主因だったように思われます。若い世代と話すと必ずといっていいほど「インドネシア映画は面白くない」という答えが返ってきます。観てもホラー映画で、あとはハリウッドと韓国映画だと言います。
たしかに、私がインドネシア映画を頻繁に観るようになった2013年頃は、インドネシア映画だと観客が自分を含めて十人前後、ひどい時は一人貸切の時もありました。仕事の性質上、ウィークデーに鑑賞できたためかもしれませんが、ファンとしては寂しい思いをしたことを覚えています。
ただ、3年ほど前からどのインドネシア映画でも、客席が半分くらい埋まるようになり、観客数が確実に増えてきているようです。統計でみても、インドネシア映画の動員客数は2015年が1626万人だったのが、2016年に3723万人、2019年には4532万人と確実に上昇傾向です。これに伴って製作本数も2013年以降は毎年100本以上で、2018年には過去最高の145本が製作されています。
これは、インドネシア映画の質の向上、内容の充実度にインドネシアの人々が気づき、認め始めた証しではないかともいえそうです。もちろんそれ以前にもありましたが、年々、テーマ性があり、興味深く、見ごたえのある作品が多くなっています。ヒットしたテレビドラマの映画化、続編を前提にした2部、3部作構成の作品が増えている日本よりも、勢い、魅力はあるかもしれません。今後をさらに期待したいです。
『ゴールデン・アームズ』に戻ると、ヒットしなかった理由をあえて作品で指摘するならば、主人公の少女が今ひとつ輝かなかったことかもしれません。女優は公開当時19歳のエファ・セリア(Eva Celia)が演じましたが、轟さんも触れられたように、悪役を演じたレザ・ラハディアン、タラ・バスロ、さらには師匠役のクリスティーヌ・ハキム、キーパーソンを演じたニコラス・サプトゥラと名優、実力派俳優の存在感が強く、飲まれてしまったような気もします。
エファ・セリア自体は大きな瞳が印象的な女優で、今後が期待されます。余談ですが、彼女の母親は女優でモデルのソフィア・ラチュバで、1999年、全裸で足を組み座り込んだ姿で雑誌『ポピュラー』(POPULAR)の表紙を飾り、イスラム教徒の多いインドネシアで賛否両論の話題を呼んだことを思い出します。
さて、この作品が時代絵巻として効果を出しているのが、轟さんも仰っていた、スンバ島でのオールロケだったことが大きいと思われます。バリ島から東に、小スンダ列島が続きますが、スンバ島とティモール島の一部だけが南対岸に位置するオーストラリアと似たサバンナが広がっています。とくにスンバ島は大部分が丘陵地で、低木と草原が覆い、手つかずの自然が広がっています。このため時代劇のスケール感を出す撮影にはもってこいだったのではないでしょうか。
私は今年3月中旬、新型コロナウィルス感染拡大防止のためジャカルタからの出入りができなくなる直前に運良く、スンバ島を訪れる機会がありましたが、美しい自然やスンバ島独自の文化に魅了されました。このスンバ島独特の風景、風土を生かして、最近3年間に3本もの映画作品が生まれていますよね。魅力的な作品のひとつが、日本でも2019年に公開された『マルリナの明日』(Marlina Si Pembunuh dalam Empat Babak / 2017年)です。
作品冒頭、荒涼と広がる丘陵地をポツンと一台のバイクが走るシーンから始まります。まるでカウボーイが馬に乗って荒野を駆けるかのように。同作品のモウリー・スルヤ監督がBBCのインタビューで「リサーチでスンバ島を初めて訪れたとき、ウェスタン(西部劇)風のインスピレーションを得た」と答えていることが、まさに作品冒頭からエンディングに至るまで感じることができます。
何もない広大な丘陵地帯を縫うように一本だけ走る街道、数時間に一台しかこないトラックの荷台を座席にしたバス、それにスンバの馬。どれもがスンバ島ならではの風景であり、ジャワ島などではイメージできない世界です。
スンバ島に広がる丘陵地
トラックの荷台を利用したバス
この作品は丘陵地の人里離れた一軒家に住む女性が強盗にあう物語を通して、女性の立場の弱さ、地方ゆえの治安の悪さ、行政サービスの不十分さなど様々な問題提起を孕みながらドラマティックに展開します。また主人公を演じた女優マルシャ・ティモシーの好演が光ります。強い眼光から怒り、驚き、悲しみ、慈しみを表現し、見る者を惹きつけます。少しでも多くの日本人に観てもらい、現代インドネシア映画のパワーを感じ取ってもらいたいですよね。
作品のトーンから、スンバ島の荒涼としたイメージの丘陵地を強調してしまいましたが、実は黄金色や緑色に染まった丘陵地はとても美しい風景です。これ以外にも紺碧の空に深いエメラルドグリーンの海とスンバ島の自然は一見の価値が大いにあります。現在は新型コロナ禍で打撃を受けているようですが、スンバ島も独自の自然資源と文化をもとにした観光がメイン産業です。
観光地の位置付けでロケ地となった作品が『電波がない』(Susah Sinyal / 2017年公開)ですよね。首都ジャカルタに住む思春期の女子高生と、弁護士で家を空けがちな母親が相互理解を深めるためにスンバ島の海岸へ旅行する物語です。
バーやレストラン、買い物ができ何でも揃ったリゾート地の代表がバリであれば、スンバ島は店が少なく宿泊施設も素朴ではあるものの、未開発の自然があふれ、人も少なく、心安らかに田舎気分を満喫できる観光地とのイメージがジャワ島を中心とした人々のイメージにあるようです。それだけに同作品でも母娘の心を通い合わせるには最適の旅行先として選ばれたのではないかと思われます。地理的にも隔絶された場所だけに、携帯電話の電波も通じにくいところからタイトルが名付けられたんでしょうね。
そして自然だけでなく、映画制作者たちがとくにスンバ島に魅力を感じる大きな理由が、スンバ島での古来からの地域信仰を含めた独自文化です。これはマラプと呼ばれる、自然に神が宿ると信じ、祖先の霊を敬う信仰で、この信仰が馬と生活を共にする人々の生活風習の細部にわたって強く影響を与えています。
『マルリナの明日』のモウリー監督は前述のインタビューで「イスラム教徒が多数を占めるジャワなど他地域とは全く異なった世界に強く興味を持った」と話し、『ゴールデン・アームズ』のプロデューサーの一人として加わったリリ・リザ監督は同作品の撮影時に、スンバ島を舞台にしたオリジナル作品を制作するインスピレーションを受けたとのことです。
そして伝統文化をふんだんに取り入れながら、リリ・リザ監督が製作したスンバ島の現代を描いた映画作品が、最新作の『フンバ・ドリームス』です。残念ながら新型コロナ禍のため劇場公開が中止となってしまいましたが、先月からネットフリックス(NETFLIX)で東南アジア地区限定ながら配信されています。
読者コメント