よりどりインドネシア

2020年08月08日号 vol.75

往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第1信:『ゴールデン・アームズ』の挑戦と挫折(轟英明)

2020年08月13日 00:54 by Matsui-Glocal

横山裕一 様

先日は、「よりどりインドネシア」のオンライン・オフ会にてお話しできて大変楽しかったです。今もコロナ禍の最中ですが、くよくよしても仕方ない以上、精神の健康を保つのが大事と考え、大好きなインドネシア映画の話を縦横無尽に今回から往復書簡の形で横山さんとさせていただければと思います。オタク気質のため、ついつい細部にこだわってしまう悪い癖が私にはありますが、同行の士である横山さんとのやり取りを通して、インドネシア映画の魅力さらにインドネシア映画がどう発展あるいは衰退していくか、その展望を読者の皆様とも分かち合えれば幸いです。

さて、記念すべき第一信では、私が最も好きなジャンルである時代劇アクション、『ゴールデン・アームズ-導かれし者』(原題 Pendekar Tongkat Emas、直訳すると「黄金杖の勇者」)を取り上げます。このジャンルはインドネシアではシラット映画とも呼ばれますが、これは言うまでもなくマレー世界で古来より伝えられてきた護身術「プンチャック・シラット」から来ている名称です。が、今回は敢えて中華圏での呼称「武侠片」(ぶきょうへん)を使わせてください。理由は後述します。

今回『ゴールデン・アームズ』を選んだのは、単に私が好きな作品というだけでなく、つい数週間前にインドネシアでは「ネットフリックス」での配信が開始されたことも関係しています。日本の「ネットフリックス」では配信されているのか未確認なのですが、DVDはリリースされているので、「よりどりインドネシア」読者で未見の方にも是非見ていただきたいと思い、本作を選んだ次第です。

本作のプロットは極めて単純で、タイトルにもあるtongkat emas 黄金杖をめぐる兄妹弟子間の因縁の戦いを、一切の手抜きなしで真正面から描いた正統派本格武侠片と言えるでしょう。老女武者チェンパカが4人いる弟子の中から少女ダラを後継者と定めたことから始まる超人的な棒術合戦、少女ダラの窮地を救うエランは何者か、そして黄金杖を最終的に手にするのは誰か?戦いの合間には裏切り、陰謀、自己犠牲、師弟愛が的確に描写され、あるいは戦いそのものがそれらを象徴し、実に見ごたえのあるアクション大作であることには横山さんも異論がないと思います。

私は本作で師匠を裏切る悪役カップル、ビルを演じたレザ・ラハディアンとグルハナを演じたタラ・バスロが大好きなのですが、ここでは二人の見事な悪役ぶりを褒めたたえることは最小限に留め、本作がインドネシア映画史に占める独特の位置と、この野心的な作品が興行的には失敗した背景について、俯瞰的な視点から以下論じてみたいと思います。

先ほど本作を「正統派本格武侠片」と呼びましたが、理由はいくつかあります。

まず、第1に、武術指導として香港から熊欣欣(広東語読みでホン・ヤンヤン、北京語読みでシャン・シンシン、日本での愛称はクマさん)を招聘して撮影開始前に徹底的に俳優たちを本物の武術の達人に見劣りしないレベルまで鍛えたこと。熊欣欣と言えば、元々ジェット・リーのスタントとして香港映画界に入り、功夫片『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズでは主要キャストに抜擢され、さらにハリウッドでの武術指導経験もある、文字通りの本格派です。スキンヘッドで超人的な足技を見せる達人を、功夫映画好きの横山さんならきっと覚えていると思います。その彼にアクション映画未経験の俳優たちを徹底的に鍛えさせた、この一事だけでも製作者たちの意気込みと本気度がわかるというものです。

第2に、往年のシラット映画との決別と、ジャンルそのものを更新するのだという製作者の強い意志が感じられること。インドネシア映画史においてシラット映画が量産されたのは1970~80年代のインドネシア映画黄金時代ですが、当時大流行した功夫片に倣ったリアルな殺陣(たて)は徐々にファンタジーやオカルトの要素の強いものへ移行していきました。映画産業が瀕死状態に陥った1990年代半ば以降は主にテレビでこのジャンルは生き延びていた印象があります。登場人物が空を飛び、手から光線を発して、時として悪魔や神々と延々とバトルを続けるこうした作品を横山さんもテレビで見たことがないでしょうか? 映画ですとYOUTUBE でこの系統の作品がいくつか見られるようです。技術は稚拙ながら、強引なストーリー展開とカット割りで観客に有無を言わせず見せてしまう、ある意味映画が本来持っている野放図さがどこまでも続く、こうしたデタラメさが私は結構好きです。が、『ゴールデン・アームズ』製作陣はそうした要素を徹底的に排し、息抜き的なコミカルな要素も削りました。始終、登場人物は真面目な顔でストイックに修行に励み、死力の限りを尽くして戦う、今時珍しいほどのストイックさで、これを正統派と呼ばずして何を正統と呼ぶのかと言いたくなるほどの生真面目さです。本作には批評家から低俗なジャンルとして貶められてきたシラット映画をアクション・ドラマとして再生させるという製作者の強い意志が感じられ、その心意気に武侠片ファンとして拍手をせざるを得ません。

第3に、プロデューサーのミラ・レスマナらが1970年代に夢中になって読んだというインドネシア語シラット小説が本作の下敷きになっていること。いわゆる少年少女向けの娯楽小説にもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、彼らはそれらの「パルプ・フィクション」から人生哲学や道徳を学んだとのことです。これは日本の少年少女が主人公の成長していくタイプのマンガ、いわゆる格闘マンガを読んで観念的な思考を身につけていくことに似ているかもしれません。ただ、ここインドネシアで重要なのは、それらの作者が中国系インドネシア人であり、多くの場合、中国の武侠小説が翻案参照され、物語が展開することです。そこでは当然、日本の『里見八犬伝』にも通底する儒教道徳が説かれ、同時に男女の情愛もロマンチックに書かれる傾向があります(余談ながらこの点は日本の時代劇大衆小説との大きな相違です)。舞台が一応インドネシアなので、中国性は薄まっていますが、物語の核に「武侠小説」の神髄が宿っていると言ってもあながち間違いではないでしょう。

劇場公開時に出版されたムック本より インドネシア語シラット小説の数々

以上、本作がかつて粗製乱造されたシラット映画とは一線を画し、本場香港や中国の武侠映画に見劣りしないクオリティを目指して、製作者たちが予算も時間もかけて本気で取り組んだ正統派本格武侠片であることを説明してみました。とにかくあらゆる面で挑戦的な作品です。これまでのアクション映画では傍流だった棒術に特化した殺陣を可能な限り俳優本人に演じさせたこと、一方でワイヤーワークや特殊効果は極力少なくしてリアルさを追求したこと、衣装や美術をイチから作り上げたこと、そしてスンバ島の壮大な風景と植生を思う存分活用した見事なショットの数々など、間違いなくインドネシア映画史に新たな一頁を加えた画期的な作品と断言します。

しかしながら、本当に残念なのですが、本作は2014年の劇場公開時全くヒットしませんでした。ミラ・レスマナ率いるマイルズ・プロダクションは出版メディアの最大手グラメディア・コンパスグループと共同制作し、250億ルピアというインドネシア映画としては破格の製作費をかけただけでなく、事前の宣伝も相当おこなったにも関わらず、観客動員数は目標とした170万人には遠く及ばない、30万人程度に留まったのでした。封切り直後に劇場で見た私は、観客の少なさが気にはなったものの、たまたま自分が見た回とその映画館では少なかっただけだろうと楽観的に考えていただけに、観客動員数を知ったときは本当にショックを受けました。

「どうしてこれほどの力作がインドネシアでは受け入れられないのか?一体どういうことなのか?小難しい芸術映画ではない、バリバリの娯楽作なのになぜ??」

劇場公開時に出版されたムック本 表紙

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