政府によると、新型コロナウィルス流行で各産業界が打撃を受けるなか、インドネシアではコーヒー産業が好調だという。とくに、エジプトへのコーヒー豆輸出の増加が顕著で、2020年2月だけでもエジプトへの出荷額は前年比21.75%増の1,262万米ドル。4月末段階でも順調だという。一方、国内においてもアグス産業大臣が「中小のコーヒー加工業者のポテンシャル、将来性はまだまだ高い」と発言し、コロナ禍での同国の経済底上げの一助となることを期待している。
こうした背景には、インドネシアにおける独自のコーヒー文化の歴史と、2010年頃から始まった「インドネシア・コーヒールネッサンス」ともいえる自国のコーヒーを見直す潮流があるといえそうだ。世界で有数の生産国、インドネシア独自のコーヒーの歴史と各地に息づく多様なコーヒー文化を紹介する。
●インドネシア・コーヒールネッサンス
南ジャカルタのパンリマポリムV通りは,近年カフェやコーヒーショップが急速に立ち並び、お洒落なカフェ通りへ生まれ変わっている。カウンターには一台百万円前後のイタリア製などのエスプレッソ・マシンが存在感を放ち、脇にはインドネシア各地方のコーヒー豆が数種類並ぶ。客はカプチーノ、カフェオレに始まり、ストレートのマニュアル・ドリップなど好きな飲み方を注文する。
南ジャカルタ・パンリマポリムV通りに立ち並ぶカフェやコーヒーショップ
2000年代まで、都心を除いてコーヒーを飲むといえば、駄菓子や雑貨を販売する屋台やカキリマ(リヤカー式の移動屋台)で、お湯で溶いたインスタントコーヒーを飲むのが主流だった。それが2010年前後から、前述のようないわゆるコーヒーショップがジャカルタを中心に現れ、いまや地方都市でも各地に多数見受けられるようになっている。
さらに、かつて「コーヒー」といえば、一般的には選択肢は「コーヒー」一種類でしかなかったものが、今ではアラビカ種、ロブスター種、さらには産地名を冠したブランドコーヒー、ガヨ、トラジャ、キンタマーニ、フローレス、ワメナコーヒーなど、どこでもバリエーションを楽しめるようになった。
2010年頃からのコーヒーショップの出現にあわせて、インドネシアの人々が自国のコーヒーの多様性、豊かな味わいを知り、見直すようになった。こうした「ルネッサンス」ともいえる自国のコーヒーへの再認識が新たなコーヒー産業を飛躍させるきっかけになったといえる。ここに至るまでには、インドネシア・コーヒー300年の歴史があった。
(以下に続く)
- インドネシア・コーヒーの歴史 ~始まりはジャカルタから
- ジャワコーヒーの世界席巻と危機
- 植民地の過酷な強制栽培から生まれた幻のコーヒー
- トゥブルックからエスプレッソ、ドリップへ
- インドネシア・コーヒーの再認識
- ジャカルタで再び灯ったあかり
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