そもそも、私が『よりどりインドネシア』への投稿をお引き受けした理由の一つに、「中村兵」のことを書きたい思いがありました。
皆さんは、第二次世界大戦時に21万人にものぼる台湾人が「日本兵」として出征したことをご存知でしょうか。
当時の台湾は日本統治下にあり、日本語教育が奨励され、日本式の姓名に改姓名する台湾人も少なくありませんでした。21万人のうちおよそ6,000人は、「高砂族」と呼ばれる台湾の先住民でした。そのうちの500人の高砂族の若者が東インドネシアのモロタイ島へ派遣されました。
●モロタイ島へ
私が中村兵のことを知ったのは、2017年7月に通訳として、お客様に同行して訪れたモロタイ島でした。
ジャカルタからまずスラウェシ島のマナドへ飛行機で3時間10分、そこから北マルク州の最大都市テルナテ経由、モロタイ島まで2時間、計5時間10分かかることになりますが、マナドでの乗り継ぎ時間を入れると7時間以上かかります。インドネシアは東西5,110キロメートルあり、アメリカの東~西海岸とほぼ同距離だということが実感できる旅です。
テルナテ島からモロタイ島までは、50人乗り程度のプロペラ機でした。どこかの事務所の待合室のようなモロタイ空港に到着すると、北マルク州・モロタイ島県の元副県知事(と記憶しています)がお客様を出迎えました。
お客様と元副県知事が社用車の後ろの席に、私は助手席に座り、モロタイ島で唯一シャワーがあるというホテルへ向かいました。その車内で、元副県知事がおもむろに「中村兵」の話を始めました。
テルナテからプロペラ機でモロタイ島へ
モロタイ島の元副県知事が空港で出迎え
(以下へ続く)
- 中村兵とは
- 中村兵について調べてみた
- 中村兵と村人との交流
- 中村兵の話をもっと知ってもらいたい
- 長女に映画化を打診したが・・・
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