よりどりインドネシア

2020年06月07日号 vol.71

ラサ・サヤン(5)~姪たち~(石川礼子)

2020年06月07日 22:53 by Matsui-Glocal

前回お話ししたように、主人は七人兄弟の五番目です。

日本の一昔前のように、主人の世代で地方に育ったインドネシア人には子沢山の家庭が多いようです。主人の兄弟はそれぞれ家庭を持っていますので、姪・甥の数も半端ではありません。義母からすると孫が16人ということになります。ひ孫は、現在まだ3人ですが、あと十年もしたら、確実に10人は越すでしょう。

16人の孫の内訳ですが、男6名、女10名と、女の子が6割強、インドネシア全人口の女性の割合(2019年データに依ると49.80%)よりも大分多い数字です。

うちの三人娘が女性の比率に大きく貢献しているのはたしかです。

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主人には当然、彼の兄弟の伴侶である義理の兄、姉、弟、妹がいる訳ですが、華人、とくに客家人の場合、それぞれに中国式の呼び方があります。義姉はA-So、義兄はCi-Chongを名前の前に付けて呼ぶのが礼儀です。

義妹や義弟は名前で呼びますが、驚くべきは、伯父、叔父、伯母、叔母の呼び方です。日本語でも厳密には、父母の兄姉と弟妹では前述のように漢字を分けますが、呼び方としては「おじさん」「おばさん」だけですよね。

客家人は、父方の伯父、叔父、伯母、叔母、そして母方の伯父、叔父、伯母、叔母、全て別の呼び名があるのです!! 

  • 父側の伯父:Pak-Pak  母側の伯父:Tai-Gu
  • 父側の叔父:Suk-Suk     母側の叔父:Kiu-Kiu
  • 父側の伯母:Tai-Ku        母側の伯母:Tai-Jie
  • 父側の叔母:Ku-Ku        母側の叔母:Ji-Ji

(注:家族によって呼び名が違う場合があり、綴りも違う場合がありますことをご了承ください)

主人は、この呼び名をスラスラ言えるからたいしたものです。核家族且つ親戚付き合いも殆どなく育った私は最初から覚える気力もなく今日まできてしまいました。

本来は、主人のお兄さんやお姉さんを呼ぶ時には「Ko」や「Ci」を名前の前に付けて呼びますが(兄弟のお嫁さんたちは皆そうしている)、私は「外国人」という特権に甘え、お兄さんもお姉さんも、インドネシアに来た時から親しく名前で呼ばせてもらっています。

中国式で呼ぶのは、主人の亡祖母を「Pho-Pho(ポーポー)」、以前同居していた義母の従妹のことを「Yi-Yi(イーイー)」くらいで、それも最初は「パンダの名前みたい」と一人ツッコミしながら、なかなか呼べずにいました。

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話は戻りますが、主人の一番上の兄は一昨年、亡くなりました。60歳という若さでした。他の兄弟は皆、元気ですが、伴侶を亡くした兄弟が二人います。どちらも私より年下で、弟嫁は4年前に45歳で、ソロに住んでいた兄嫁は昨年50歳の若さで他界しました。

弟嫁は明るく、頭の回転も早く、友達も多いチャーミングな女性でした。毎日、弟が経営する商店でSembako(スンバコ)と呼ばれる基本必需品(米、砂糖、卵、食用油・バター、食塩、牛肉・鶏肉、牛乳、トウモロコシ、灯油の9品目)の生鮮物以外の商品を扱い、在庫が山積みになった、決して良い環境とは言えない店で、朝から晩まで気丈に働いていました。

私が唯一、気を許せる親族が彼女で、お互いの伴侶の悪口を言い合ったり、子供の学校に関する情報交換をしたりしていました。それだけに彼女の死は、まるで実の妹を失ったようにショックでした。毎年、彼女の命日には、前日に市場で買った薔薇とジャスミンの紅白の花びら(こちらではお墓に花びらを撒く習慣があります)が沢山入った袋を持って、彼女のお墓にお参りに行きます。

当時、高校一年生だった彼女の娘(姪)と、うちの三女は同じ学年で、同じ高校に通っていました。

三女曰く、母親が亡くなってしばらくは学校で会っても、姪は三女のことをどこか避けるような感じだったそうですが、今は仲良くシドニーで二人暮らししています。その姪のことについてお話ししようと思います。

三女のアパートになんとか荷物を整理し終わった後、一服する姪(右)

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