●メイドはスマトラ島からやってきたジャワ人
現在、我が家はドライバー1人と、メイド1人を雇っています。ドライバーは近所に家族と住むブタウィ人(ジャカルタ先住民)で、メイドはスマトラ島の南に位置するランプン州からやってきた子です。
スマトラ島から来たと言っても、そこの原住民ではなく、ジャワ人です。話がややこしくなりますが、ジャワ人とは主にジャワ島の中央部および東部に住む/出身の民族で、全人口の41%を占めるインドネシア国内最大の民族です。では、なぜジャワ人なのにスマトラ島から来たのか?
それは、国の「移住政策」が深く関わっています。「移住政策」とは、「19世紀初頭に過密の抑制及びスマトラ島のプランテーションの労働力の供給のために始まった。オランダの治世が終わる1940年代には一回廃止となったが、インドネシアが独立すると食糧不足の軽減や経済発展効率の改善のためにスカルノ政権によって第二次世界大戦後に復活した(Wikipediaより抜粋)」ジャワ島を中心に他の島々の低密度地域へ人口移動する政策です。
●インドネシアの移住政策
インドネシアには、村落・後進地域開発・移住省という省があり、ここが「移住」(Transmigrasi)政策を司っています。移住政策は今も引き続き施行されており、2019年内にジャワ島以遠の10州に1,334.33ヘクタールの土地を政府が用意し、1,465世帯を移住させる計画がある旨をネットニュースで読みました。そして2019年8月には、ジャワ島とバリ島から7,000人の住民をスマトラ島、カリマンタン島、スラウェシ島へ移住させることを目標としている、という政府発表がありました。
その進捗は分かりませんが、要はこの「移住政策」というのは、何度か廃止になりながらも、19世紀初頭から現在まで行われている政策だということです。大昔は強制的に移住させられていましたが、現代では政府が促進し、貧困にあえぐ住民が自発的に移住することが主となっています。もちろん、この「移住政策」は様々な問題もはらんでおり、移住した先の原住民との衝突や、暴動に発展することもあるのが現実です。
ジャワ島はインドネシア総面積のたった6.8%の島、日本の本州の半分の面積です。そこに、先ほどのジャワ人を含む1億5,000万人が住んでいます。つまり、ジャワ島にインドネシア全人口の約55%もが住んでいることになります。
この数字だけ見ると、「移住政策」は欠かせないものだという気がします。それでも毎年、ジャワ島の人口は小数点以下の割合ですが減ってはいます。おそらく、これが移住政策の成果なのでしょう。
移住政策はオランダ統治時代に始まった。
「移住政策を通じて村落地域を発展させよう」という政府のキャンペーン。
移住先はスマトラ島やカリマンタン島、西パプア州が多く、2010年の国勢調査では、我が家のメイドさんの田舎であるランプン州だけで570万人がジャワ島から移住しています。インドネシア全国の総移住者は約2,000万人に及ぶと考えられています。
移住者たちは政府が用意した住居と農地で新しい生活を始める。
「パプアは移住者を受け入れない」という横断幕を翳して反対デモを行うパプア原住民の人たち。
ジャワ人だけではなく、バリ人の移住者も多く、以前、我が家に居たメイドさんは、バリ島からランプン州へ移住した何代目かの「バリ・ランプン人」でした。今のメイドさんも、親の代もしくは何世代か前に政府の移住政策により、ジャワ島からランプン州に移住し、ジャワ人の家庭で育った「ジャワ・ランプン人」ということになります。
(以下に続く)
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