ジャカルタから世界一酷いといわれた交通渋滞が消えて1ヵ月が過ぎた。新型コロナウィルス大流行に対するジャカルタ首都特別州政府の緊急対応として、3月20日から住民たちは自宅待機を余儀なくされている。4月10日には、政府の大規模社会制限として、対応措置はさらに強化された。その一方で、増え続ける感染者数と死亡者数。社会、経済活動がストップしたジャカルタの街の一端を報告する。
●3月20日~ジャカルタ緊急対応(Status Tanggapan Darurat)
政府発表として3月2日にインドネシア初の感染者が確認されてから半月余り経った同月20日から、ジャカルタ首都特別州では新型コロナウィルスに対する「緊急対応」がとられた。措置は州内住民の外出自粛や企業事務所の停止要請、公立学校の休止、さらには映画館やカラオケなど娯楽施設の閉鎖命令などだ。
筆者の住居は、南ジャカルタのカリバタ英雄墓池の隣にあるカリバタシティというアパート群にある。カリバタシティは中間層向けに建設されたアパートで、12.5ヘクタールの敷地内に19階建てのアパートが18棟、地下には飲食中心のショッピングモールがあり、地上1階は食堂やクリーニング、カフェ、コンビニエンスストアなどが並ぶ。住民はあわせて3~4万人といわれ、アパート敷地内だけで独立した街の様相を呈している。
18棟のアパートが立ち並ぶカリバタシティ(南ジャカルタ)
ここでも「緊急対応」とともに様相が一変し始めた。地下のモールの閉店時間が午後10時から8時に繰り上げられ、約2週間後には午後6時になった。店舗も映画館やマッサージ店は閉鎖命令のため当初から閉店したが、日を追うごとにスポーツジムや洋服店などが次々と閉店していった。
閉店が相次ぐアパート地下モール内(3月27日撮影)。
スーパーのレジでは間隔を空けてレジ待ちするよう指示するカラーテープとのぼりが掲げられる。
アパート敷地内、各棟、モールに入る際は体温検査が始まり、地下モール内にあるスーパーマーケットでは、レジ待ちの客が距離を保つよう床に立ち位置を示すカラーテープが貼られた。初の感染者が発表された3月2日のみ、卵やインスタント麺、ティッシュなどが大量に買いこまれたが、それ以降、買いだめ騒動は起きていない。しかし、砂糖だけは売り切れが続いた。
自宅待機以降は自室棟の1階にある食堂で主に食事していた。3月下旬、いつものように並べられたおかずを選ぼうと覗き込んでいると、店員に話しかけられる。「アパートからの通達できょうからテイクアウトのみになるよ」。この日からすべて自室での食事となった。
夕食後によくコーヒーを飲んでいた地下モール中庭の飲食スペースも、日を追うごとに利用者が減っていった。このほか、24時間営業の飲食店などもあるため、時間を問わず多くの人を見かけたアパート敷地内も外出者はかなり減った。しかし、夜、アパートの各棟を見ると、これまでよりも明かりのついた窓が多いことに気づく。在宅率の高さをうかがわせた。
ジャカルタ中心部の目抜き通り、スディルマン通り、タムリン通りも終日の渋滞から一変、レバラン(イスラム教の断食明け大祭)休暇時のような静かさだ。歩道を歩く人もまばらで、中心部の高級ショッピングモールも3月下旬にスーパーマーケットを除いて閉店した。
ジャカルタ中心部のタムリン通り(4月3日撮影)。
MRT車内の様子(3月23日撮影)。
「緊急対応」前と変わらない首都圏鉄道(3月23日撮影)。
ジャカルタ中心部から南部へと縦断する一部地下鉄のMRTも、一両に乗客が一人二人とガラ空きだった。しかし、ジャカルタと郊外各地を結ぶ首都圏鉄道は座席がほぼ埋まり、通常とあまり変わらない様子。都心部の大企業は自宅勤務を徹底するものの、周辺部の中小企業は徹底されていないようにも見受けられた。
(以下に続く)
- 4月10日~大規模社会制限(Pembatasan Sosial Berskala Besar: PSBB)
- さまようオンラインバイクタクシー
- 低収入層にとっての大規模社会制限
- 大規模社会制限の正念場、断食月、レバランへ
読者コメント