インドネシア人と日本人が交戦した痛ましい歴史のひとつが、1945年10月に起きた「スマラン事件」である。
第二次世界大戦での日本の降伏、そしてインドネシアが独立宣言して間もない頃。連合国へインドネシアを引き渡すまで駐留する旧日本軍に対し、再植民地化を狙うオランダから祖国を守るため武器の引き渡しを迫るインドネシアの青年たち。インドネシアでは、スマラン事件のことを「スマラン五日間戦争」と呼ぶ。まさに双方に悲劇の起きた五日間戦争をインドネシアからの視点で報告する。
●スマラン五日間戦争記念式典
スマラン五日間戦争が起きた10月14日を記念して、スマランでは毎年式典が行われる。場所は市役所前のロータリーにある「青年の塔」前。五日間戦争、そして続く独立戦争で命を投げ打ったインドネシアの青年たちの慰霊と敬意を表するため建てられた塔で、現在のスマランのシンボルのひとつでもある。
記念式典での黙祷の様子。壇上はヘンドラル・プリハディ スマラン市長。
午後7時、青年の塔に向かって参列した人々、集まった市民らが黙祷をする。続いて、明かりが消され、真っ暗になったなか、サイレンが鳴り響き、号砲が鳴る。当時の様子を思い起こすためだ。イスラム様式で祈りが捧げられ、最後にスマランの高校生、大学生らによる当時を再現する演劇が披露された。
演劇の最後の場面で、舞台一面に戦闘の末倒れたインドネシア人青年ら、日本兵をバックに、学生4人が「現在の」スマラン青年の誓いをたてる。「私たちは、彼らの勇姿、犠牲を讃え、今を生きる若者として,民族がひとつになって繁栄するよう努力する!」
式典最後に披露された演劇では、五日間戦争がどのように起き、どんな結果がもたらされたかが演じられた。最後に代表の学生4人が青年の塔を背景に「スマラン青年の誓い」をする。
●立場の違いと認識の違い
インドネシアの人々から五日間戦争をみれば、支配を受けた日本軍に戦いを挑み、戦闘では負けたとしても後のオランダとの独立戦争を経て独立を勝ち取った原点にもなり、ここで命を落とした青年たちを英雄視するのは当然だろう。
しかし、この演劇を通して日本人としては気になったことがある。五日間戦争発端の大義が、再植民地化を狙うオランダ軍だけでなく、「終戦後インドネシアが独立宣言をしたにも関わらず、支配を続けようとする日本軍を倒すため」となっていたことだ。
日本人の認識では、日本軍は敗戦でインドネシア支配継続の意志はすでになく、連合国の命令を守り武器を引き渡さなかったことで、武器の引き渡しを求めるインドネシア青年らと武力衝突が起きたというものだ。
劇中こんなシーンもあった。インドネシア独立宣言の報を聞いて歓喜する住民たち。そこに日本兵の乗ったジープが通りがかり、日本兵が叫ぶ。「独立なんてできるわけがないだろう!」
劇中、インドネシア独立宣言で沸く住民達に、日本兵が否定的な発言をするシーン。
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