東ジャワ州の州都スラバヤは、オランダ時代から港町として重要な商業都市だったが、1945年8月17日の独立宣言以降、同10月、11月にかけて、オランダとの独立戦争(1945~1949)へと繋がる重要な事件がいくつか起きている。
近年、多くの秀作を出しているインドネシア映画界でもこうした独立史に絡んだ作品が次々と製作され、歴史認識の深化が進められている。今回は独立史でスラバヤを舞台にした、また関連した映画作品を通して、現在もスラバヤに残る歴史遺産を紹介したい。
●映画「バトル・オブ・スラバヤ(スラバヤ戦争)」より
映画「バトル・オブ・スラバヤ」(2015年8月公開)のポスター。
映画「バトル・オブ・スラバヤ」は、2015年8月、インドネシア初の長編アニメ映画として製作された。スラバヤを舞台に、独立派の要人間で交わされる密文書の配達人である少年(架空の人物)が主人公で、彼の目を通して実際に起きた激動の時代を描いた意欲作である。
1945年8月の日本敗戦後、連合国代表のイギリス軍が駐留するなか、連合国の一員のオランダが東インド(現インドネシア)の再植民地化を狙っていた。すでにインドネシアとして独立宣言していたスラバヤの住民には緊張感が漂っていた。こうしたなか、ヤマトホテル事件が起き、スラバヤ戦争へと発展していく。
ヤマトホテル事件とは、1945年9月19日、オランダ人がオランダ国旗を同ホテル屋上に掲げたことで、地元住民と諍いになった事件である。住民代表が同ホテルにいたオランダ人に抗議し、揉み合いとなる。その弾みでオランダ人が、所有していた拳銃の暴発で死亡、相手のインドネシア人は兵士に射殺される。
これに激高した住民らはヤマトホテルの屋上に上り、オランダ国旗の下部の青色部分を引き裂いて「紅白横縞のインドネシア国旗」として掲げ直した。オランダに対し、連合国側に対し、インドネシア住民が独立を主張した象徴的な事件となり、スラバヤ戦争へのきっかけともなった。
舞台となったヤマトホテルは、オランダ植民地時代の1910年、「オランイェ(ORANJE、オレンジ色の意味)ホテル」として建設、その後日本軍政下で「ヤマトホテル」と改名された。
旧ヤマトホテル(現マジャパヒトホテル/スラバヤ・トゥンジュガン通り)
マジャパヒトホテルの中庭。オランダ時代のコロニアルスタイルが特徴。
ホテルロビーに展示されている、ヤマトホテル事件当時の写真。
現在このホテルは五つ星の「マジャパヒトホテル」として営業されていて、一部改修されたものの、往時のコロニアルスタイルの佇まいを偲ばせている。ロビーには同事件をはじめホテルの歴史関連資料がある。屋上には当然のことながら、インドネシアのメラプティ(紅白)旗がはためいている。
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