よりどりインドネシア

2019年09月23日号 vol.54

ウォノソボライフ(21):AQUA創設者、ティルト・ウトモの歩み(神道有子)

2019年09月23日 01:02 by Matsui-Glocal

出張、旅行、留学、様々な形態でインドネシアを訪れる外国人たち。どんな短期滞在でも、ほぼ必ず目にすることになる商品といえば、ミネラルウォーターではないでしょうか?なかでもとくに有名で、ミネラルウォーター自体の総称となっているのがAQUA(アクア)です。

そのアクアの物語が、ウォノソボからスタートしていたことはご存知でしたか? 今回は、アクアを立ち上げたティルト・ウトモ(Tirto Utomo)の生涯と、アクアが全インドネシアに流通するようになった過程を追っていきたいと思います。

●華人家庭に生まれて

1930年3月8日、ウォノソボのとある華人家庭にひとりの男の子が生まれました。後にティルト・ウトモと名乗ることになる、クワ・シエン・ビアウ(Kwa Sien Biauw)です。なお、ここでは便宜上、この時点からティルト・ウトモと呼ぶことにします。

両親は酪農で乳牛を扱っており、ティルト・ウトモは幼い頃から牛の世話や牛乳配達を手伝っていました。決して豊かとは言えない暮らしでしたが、長男であった彼はがまん強く、責任感と勤勉さを持った子どもとして成長していったようです。

クリスチャンだったティルト・ウトモは、教会が運営する小学校に上がりました。この学校は今でも街の中心部にあり、彼の後輩たちが毎日元気に校庭を走り回っています。

そこを卒業すると、両親は、次の教育の場として、マグラン県にあるTHHK(Tiong Hoa Hwee Kwan)と呼ばれる華人学校を選びました。THHKは蘭領東インドに住む華人の子供たちに中華文化を受け継がせることを目的とした機関で、中国語や儒教といった華人としてのアイデンティティに関わる教育を担っていたようです。

その後は、やはりマグラン県にあるHCS(Hollands Chinese School オランダによる華人学校)を経て、東ジャワ州マラン市にある高校へと進みます。当時の一般庶民の生活のなかにあっては、非常に教育熱心な両親だったと言えるでしょう。

さて、このマラン市での生活で、ティルト・ウトモは後の人生に大きく影響する出会いを得ます。ひとつは、CLH(Chung Lien Hui)という華人中高生団体の活動です。CLHは当時、蘭領東インド中に支部を持っており、会誌の発行、スポーツ大会、芸術祭、勉強会などの活動をしていました。運営を含め、すべて12歳から18歳の学生たちで行うものです。

このCLHで、ティルト・ウトモは本部長を任されることになりました。本部の運営のみならず、各地支部との連携、報告、行事の取り仕切りなど、勉学と並行してこなさなければなりません。ここで学んだリーダーシップのあり方や時間管理のスキルは、ティルト・ウトモの財産となりました。

もう一つの出会いが、同じくCLHに在籍していたクウィ・グワット・キエン(Kwee Gwat Kien)です。彼女はマラン市の銀行マン一家に生まれ、CHLでは会計係を務めていました。後に彼女がリサ・ティルト・ウトモ(Lisa Tirto Utomo)と名乗り、生涯の伴侶となることは、若い彼らはまだ知りませんでしたが、どうやら良好なお付き合いはこの辺りから始まっていたようです。

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