まもなく74回目の終戦記念日を迎える。
インドネシアのパプア州、西パプア州では5万人以上の旧日本兵が戦死したとされている。2019年6月下旬、日本政府とインドネシア政府は上記2州での旧日本兵遺骨収集協定を結び、約5年ぶりに遺骨収集が再開される見通しだ。
今回は戦後70周年だった2015年、フジニュースネットワークの取材に同行させていただいた様子を交えて、西パプア州で数千人の日本兵が死亡した旧日本軍の悲劇「イドレ転進」を紹介したい。
●西パプア州ワレンモミ
街道から薮を二百メートルほど分け入ると、いつのまにか少しずつ上り坂になっていく。背の丈ほどの幅の小川を渡る。靴に水が入る。さらに進むとすぐに大きな木の根が縦横無尽に張り出し、気を抜くとつまずいてしまう。
足を止め、息をついてふと見上げる。いつしか十メートル以上の高木に覆われ、紺碧色の空はその葉の合間にちらちらと覗くのみとなっていた。木々の枝から垂れ下がった蔓。足に絡まる草。30分も登っていないのに、既に全身から汗がふき出す。パプアのジャングルに入ったことを実感する。
旧日本軍が隠れ家として使った丘の頂上付近の洞窟を目指す。案内をしてくれた地元のパプア人たちが、履いていたサンダルを脱いで裸足になって登り始めた。ここからがいよいよ本格的なジャングルへ分け入っていくことを表していた・・・。
インドネシア西パプア州ワレンモミ。パプアを代表する鳥・チュンドラワシ(極楽鳥)の姿に島の形が例えられるニューギニア島西部の、その後頭部に当たる場所に位置する州都マノクワリの南数十キロの所にワレンモミはある。かつて旧日本軍はモミ(ムミ)と呼んだ。
75年前の1944年7月、旧日本軍はマノクワリからジャングルに分け入った行軍を続けていた。日本兵が駐留していたモミを食料補給の中継点に、さらに南へ数十キロのイドレを目指した。いわゆる太平洋戦争末期の「旧日本軍の自滅作戦」ともいわれた「イドレ転進作戦」である。
西パプア州地図(東部分)。「イドレ転進作戦」は、マノクワリから中継点のワレンモミ(地図上はMomi)を経て、目的地であるイドレ(地図上、中下部に記されたModan付近)まで転進するものだった。(Google Mapより)
(以下に続く)
- 死の行軍・イドレ転進作戦
- 過酷なジャングル行軍
- 旧日本軍の洞窟
- 現存する三八式歩兵銃
- 75年前の墓標
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