よりどりインドネシア

2019年08月07日号 vol.51

伊東深水の南方風俗スケッチ(脇田清之)

2019年08月07日 03:49 by Matsui-Glocal

1940年代後半、太平洋戦争の真っ只中で、スラウェシ島などの風俗をたくさんのスケッチに書き残していた日本人の画家がいました。今回は、そんな稀有な画家をご紹介します。

伊東深水が1943年5月23日に描いたトラジャ族の朝市。1943年5月23日南部セレベス、カロシよりマカレに向かう途中の山腹に於ける。トラジャ族の朝市にて、(市川市所蔵)

その画家の名は、伊東深水(いとう・しんすい、本名、一(はじめ)、1898~1972)と言います。。もともと「美人画」で有名な画家である彼は、太平洋戦争中の1943年4月から4ヵ月以上にわたって、海軍報道班員としてシンガポールやインドネシア各地に派遣されました。そしてその間、400枚以上のスケッチを描いたと言われています。帰国後の1943年10月には日本橋三越で「南方風俗スケッチ展」が開催されました。

「作品は、とても戦争を鼓舞するするためのものとは思えない。深水が初めて南洋に魅せられ、その土地の人々、あるいはその地の風光に共感し、心弾ませながら描いていると言った方が良い。動きがあって、空間把握の巧みな写生がそんなことを思わせる」。かつて伊東深水展を主催した平塚市美術館館長・草薙奈津子さんは、開館20周年記念展の冊子「伊東深水-時代の目撃者-」にそう書いています。

伊東深水がいた当時は、もちろん報道管制が敷かれ、現地の風俗情報など皆無に近い状況でした。こうしたなか、伊東深水の描いたこれらのスケッチは、当時のインドネシアを知るための大変貴重な資料であると思います。

これまでに筆者が調査した範囲では、インドネシアのメダン市と姉妹都市となっている千葉県市川市に270点、1945年頃に伊東深水が疎開していた信州の酒蔵美術館に約50点、合計320点の所蔵が確認されています。

 

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