2019年5月21日未明に総選挙委員会が大統領選挙確定結果を発表した後、22日にかけてジャカルタで暴動が起こりました。その後、イスラム教徒の断食月が明け、そろそろ明るく楽しい、長期休暇期間を終えようとしています。
人びとには、わずか数週間前に起こったにもかかわらず、あのジャカルタ暴動が昔のことに感じられるような気分なのでしょうか。あるいは、忘れてしまいたいような気分なのでしょうか。それでも一体、何が起こっていたのか、真相はどうなのか、知りたいという気持ちは持っていることでしょう。
今回のジャカルタ暴動の経緯については、「よりどりインドネシア」第46号のなかの横山裕一氏による以下の記事が詳しく記述していますので、是非、ご参照ください。
私自身の前号からのお約束として、このジャカルタ暴動を私なりに総括しなければならないと思っていました。そこで、簡潔に、以下の3点として、まとめておきたいと思います。
第一に、選挙結果を受け入れ、民主主義のルールに従う限りにおいて、この暴動は全く起こる必要のない暴動だったということでした。負けた側が「ルール自体が間違っている、信用できない」と唱えるなかで、起こった事件でした。ルール自体が適正かどうかの探査は、示威行動や暴動を通じる必要はないはずです。
第二に、今回の暴動は、決して選挙結果に不満だからという理由だけで起こったものではない、ということです。もちろん、選挙に勝てば暴動を起こす必要はなかったのでしょうが、負けるということを実は当初から内々に想定していて、今回はそのときを何らかの行動を起こす恰好の時期と位置づけたのでした。すなわち、今回の暴動は突発的なものではなく、計画的なものでした。
第三に、暴動の計画は相当に綿密なものであり、そこでのシナリオやアクターの構造は、1998年5月のジャカルタ暴動と酷似していました。1998年5月と異なるのは、暴動への政権内部からの同調者がいなかったこと、軍内部が一体だったこと、一般大衆がほとんど動かなかったこと、そして、経済破綻など現政権に深刻な失政があるとする論理的批判がみられなかったこと、などが挙げられます。
イスラム団体は、2016年12月、ジャカルタ首都特別州のアホック知事への辞任要求デモで10万人以上の大量動員を成功させた経験があり、暴動を計画した当事者には、今回もそれだけの動員をかけられればという計算があったのでしょうが、選挙結果への不服は「イスラム教冒涜」ほどの大義を与えなかったといえます。
どうして、上記のように総括したのかについて、不十分かもしれませんが、以下述べていくことにします。
(出所)https://www.suara.com/news/2019/05/23/144327/korban-tewas-kerusuhan-22-mei-jakarta-tembus-8-orang
読者コメント
tkawabata
一般公開 とても参考になる分析でした。