義母は、自分の正確な生まれ年がわかりません。
ですが、子どもの頃の話を聞き、だいたいの年齢がわかりました。
義母が小学6年生のときに、トラックにたくさんの人が乗せられて連れていかれて殺された、と覚えているからです。これが1965~1967年の共産党員狩りですので、65歳くらいかと推測できます。
このほかにも、私は義母の小さな頃の話や義母の子育て話、今は亡き義父との思い出話などをよく聞いています。今回は、そのうちの子育て話を紹介します。
昨年、数十年ぶりに故郷へレバラン帰省を果たした義母(左から二人目)
私の娘がそろそろ離乳食をはじめようかという頃、義母は「離乳食ってクルクル混ぜてつくるんでしょ?」と私に尋ねてきました。
私は意味がわからず、いくつか質問をしました。
ようやくわかったのは、義母のいう「クルクル混ぜてつくるもの」とは市販の粉状の離乳食だということでした。ぬるま湯を注いでスプーンでくるくる混ぜると、とろみのついたおかゆのような離乳食ができるのです。
義母が市販の離乳食を知っているとは思っていなかったので、驚きながらさらに話をきくと、義母は近所のお嫁さんたちのを見て「今はこのような離乳食を食べさせるのか」と知ったということでした。
では、義母が子育てをしていたときはどうだったのでしょうか。
読者コメント
匿名
一般公開 私のカンボジア人の友人も、自分の生年月日を知りませんでした...