よりどりインドネシア

2019年03月09日号 vol.41

プワルタ・セレベス編集長、近藤三郎のこと(脇田清之)

2019年03月09日 04:34 by Matsui-Glocal

太平洋戦争の時代、海軍軍政下のマカッサルでは、毎日新聞系のセレベス新聞社が、現地住民向けの日刊紙「プワルタ・セレベス」(Harian Pewarta Selebes)を発行していました。発行部数はマカッサルで3万部、メナドで2万8千部でした。

「プワルタ・セレベス」の発行体制は、毎日新聞社からの出向社員4名のほか、現地人記者、タイピストを含め最盛時で約20人、編集長は近藤三郎(1912~1946)、副編集長は、南スラウェシ・タカラール(Takalar)生まれで、後年インドネシアの国連大使や駐モスクワ大使を歴任したマナイ・ソフィアン(Manai Sophiaan, 1915~2003)でした。

上の写真:1942年(昭和17年)12月8日 創刊号  国会図書館蔵。裏の文字が滲んで読み難いですが Pemimpin Redaksi: S. KONDO の文字が判読できます。第1面には時の総理大臣東条英機の祝辞が掲載されています。

当時、プワルタ・セレベスの記事は、民政部検閲官の検閲を受ける必要がありました。ただし、検閲官は藤田勝さんという、ジャワ生まれでオランダ語に通じた温厚な方でした。近藤編集長とも親しく、こうした幸運に恵まれて、海軍の方針とは異なる、インドネシアの人達の独立への意識を高める啓蒙を行っていたようです。

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