インドネシア国軍のなかの陸軍には、コパスス(Kopassus)と呼ばれる特殊部隊があります。コパススは軍のなかでの最精鋭部隊であり、コパスス出身者が国軍の中枢を占めていくのが通常の出世コースです。
コパススの兵士たち。ベレー帽の色から「レッド・ベレー」とも呼ばれる。(出所)https://news.detik.com/berita/d-3974341/ketika-kopassus-tak-kebagian-baret-merah
コパスス(以前はコパサンダと呼ばれましたが)が公に注目され出したのは、1981年3月28日に起こったジャカルタ発メダン行きガルーダ航空機へのハイジャック事件でした。それは、同機がタイ・バンコクのドンムアン空港に着陸し、犯人側との交渉が長引くなか、3月31日未明、インドネシア国軍の特殊部隊が機内へ突入し、犯人5人のうち3人を射殺、2人も後に死亡するなか、乗客乗員44人全員を無事救出した事件でした。
この事件を契機として、国軍内で、Sat-81またはDen-81と呼ばれるテロ対策部隊が1982年6月30日に創設されました。この部隊の初代司令官はルフット・パンジャイタン(現海事担当調整大臣)、副司令官はプラボウォ・スビアント(現グリンドラ党党首、大統領候補)でした。
ルフットとプラボウォの二人は、これ以降、様々な場面で交差し、国軍内で対抗し続け、その関係が現在にも至るのですが、その詳細については、機会を見つけて別途論じてみたいと思います。
また、陸軍特殊部隊には、Sat-81またはDen-81に加えて、「サンディユダ」という呼称で呼ばれる秘密作戦部隊があり、誰にも知られずに秘密任務を行っています。現在のテロ対策では、国家警察のテロ対策特殊部隊(Detasmen Khusus 88)が前面に出ていますが、その陰で、Sat-81またはDen-81やサンディユダが、ほぼすべての事件で、主に諜報面で動いています。
プラボウォはかつて、1995~1998年にコパススの司令官を務め、上記のテロ対策部隊や「サンディユダ」を統率していました。当時、コパスス第4グループが「サンディユダ」でした(現在はコパスス第3グループ)。
コパスス時代のプラボウォ。(出所)http://jambilink.com/2018/07/07/purnawirawan-kopassus-deklarasi-prabowo-capres/
この時に起こった活動家失踪事件では、コパスス第4グループのなかの「薔薇チーム」(Tim Mawar)と呼ばれた部隊が活動家を誘拐し、拷問し、殺害したとされています。後の軍事裁判で、プラボウォはその責任を取らされ、軍籍を離脱することになりました。
同時に、プラボウォの下で実行に関わった「薔薇チーム」のメンバーも裁判にかけられ、その多くは、実刑判決を受けました。
それから約30年経った今、「薔薇チーム」出身者たちはどこで何をしているのでしょうか。その進路は、大きく二つに分かれました。
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