よりどりインドネシアの読者の皆様、こんにちは。
ロンボク島の岡本みどりです。毎月上旬号に寄稿しておりますが、前回は地震のため休載させていただきました。
にもかかわらず、あたたかいお言葉やご支援を賜りまして、ありがとうございます。今回はやはりロンボク地震について、私の体験と感想を共有いたします。
●支援する側と思っていたら被災者に
7月29日の地震では、我が家は揺れただけで、とくに被害はありませんでした。そのため、「なんらかの支援を」と考えたのですが、現地の人々のよりリアルな声を聞くために地元の人と組んだほうがよさそうだと思いました。
誰と組むかを考えたとき、最初に浮かんだのはYさんという、カッカとよく笑う女性でした。
Yさんは、北ロンボク県の小規模事業者が集う組合のスタッフです。積極的で、社会事業に対する理解があり、何かを相談するといつも「いいね!やってみなよ!」と背中を押してくれたものでした。
8月4日に支援の協働を持ちかけたときも、「いいね、もう準備しているから一緒にやろう!」と言ってくれました。家屋が全壊半壊した組合員の名前を挙げ、8月6日の月曜日に物資を持っていくことになりました。
ところが、翌5日、本震がロンボク島北部を襲い、私と彼女は一転、被災者になってしまいました。
●Yさんの棘(とげ)のあるコメント
最初の数日間、避難地に救援物資が届かなかったため、私はFacebookでロンボク島の他の地域に住む友人たちへ物資提供を呼びかけました。
そこにYさんから状況を知らせるコメントが入りました。いつもの彼女とは違う、少し棘(とげ)のあるコメントでした。
私はYさんに電話し、彼女の無事と大規模な避難地にいること、乳幼児のケア用品をはじめ、様々なものが不足していることを知りました。
その後、ジョコ・ウィドド(通称:ジョコウィ)大統領がロンボク島を訪れました。YさんはFacebookへ、こう投稿しました。
「ジョコウィさん、ようこそ、1000のモスクの島もとい、1000のテントの島へ(泣笑)」
●1000のモスクの島は1000のテントの島へ
「1000のモスクの島」とは、ロンボク島の別の呼び方で、文字通り多くのモスクがあることを伝えています。「上手いこと言うなぁ」と笑いながら、続きを読むと、皮肉めいた文章が綴られていました。
彼女はこんな皮肉を言う人じゃないのに・・・と、ここまで言わずにいられない彼女の心中を思いました。
たしかに、ロンボク島は「1000のテントの島」になりました。
私の避難地から数百メートル離れた、警察署の裏にある避難地はかなり大きな規模で、4000人を超える人がいます。屋根がわりのブルーシートが延々と続くさまは、異様を通りこえて、圧巻ですらあります。テレビで見た難民キャンプのようです。
しかし、その真っ只中にいても、面白いと感じることは存在しています。それは「ロンボクは被災してもロンボクだ」ということなのです。
●被災してもロンボクはロンボクだ!
最初は放心状態だった人々も、徐々に、平時は庶民の足となっている馬車の馬たちや牛や鶏を避難地へ持ってきました。
笑っちゃうけど、私も牛の横で昼寝をしましたよ。昼間は「暑いねぇ」とパパイヤをもいで食べ、明け方は「寒いねぇ」とコーヒーを飲み、キャッサバ芋を掘って焼きました。
お祈りの時間がくるとお祈りする。家族が亡くなれば淡々とブルガ(東屋)で遺体を洗い、埋葬する。イスラム教徒だけでなく、バリのヒンドゥー教の人々も寺院を囲んで儀式をしていました。
「毎日ミー(インスタントラーメン)ばっかじゃん」と文句を言い、支援物資が来たら列を作ることなく我先にと殺到し、さっさと廃材で即席棚を作って小売店とし、小さくも経済をまわしている・・・。
これがロンボクなんだよねぇ!
避難地に囲われたヤギ。臨時学校に来た子どもたちが餌を与える
くすんだ表情の人々も、穏やかさと鮮やかさの共存した日々に牽引されていきます。数日前、久しぶりに電話をしたら、Yさんはもう笑っていました。
このまま、私たちの周りの人々も、テント暮らしから希望を見い出すことができますように。それらが復興への糧となりますように。
1000のテントの島は、今度はどう変貌するのでしょうか。どうか楽しみにしてくださいね!
最後になりましたが、先日は、寄付へのご協力や呼びかけをありがとうございました。「よりどりインドネシアを読んでいます」と寄付してくださった方々がおられました。
日本も台風、地震と続きますが、どうか皆様元気に過ごせますように。
(岡本みどり)
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