5月半ばに起きたスラバヤなどでの自爆テロは、インドネシア社会に大きな衝撃を与えました。とくに、幼い子どもを洗脳して家族ぐるみで自爆するという、これまでのインドネシアではあり得ないと思われた犯行は、経済成長の続くインドネシアでのコミュニティのあり方を強く自省させるものとなりました。
この事件をきっかけに、テロ犯予備軍は、他と異なる特別な存在ではなく、一般市民のなかに潜んでいて、日常生活の様子だけからは予備軍だと識別するのが難しい、という教訓が導き出されたように思います。このため、事件が起こってから対策するのでは遅く、事件を起こさないようにするための予防策が重要であるとより強く認識され始めた様子です。
すなわち、家族や社会の中でのコミュニケーション能力を高め、個人を孤立させないように声がけをするといったことから始まり、各人の周りで、極端な考え方や奇妙な行動をとっている、あるいはとりそうな人物がいるかどうかに注意を向ける、といった動きがみられています。
このこと自体は、インドネシアの隣保組織(RT/RW)や伝統的コミュニティを通じて、普段から行っていることの延長線上にあり、彼らからすればとくに違和感があるものではありません。
実際、住民行事に参加しなかったり、家族カードなど義務化された行政への提出書類を提出しなかったりする人物は、隣保組織などからマークされます。また、コミュニティでとくに生活苦に喘ぐ成員に対しては、他のコミュニティ成員から様々な援助が行われる場合も少なくありません。
しかし、インドネシアには、こうした一種の相互監視システムを通じて、共産党シンパが誰かを密告し合った過去があります。ときの政府によって、1965年9月30日事件が共産党によるクーデター未遂事件であったと断じられた後、そうした密告に基づいて、多くの罪なき人々が「共産党シンパ」のレッテルを貼られ、世の中から抹消されたのでした。
「急進主義と反パンチャシラを拒否する」学生らのデモ。(出所)https://pgi.or.id/azyumardi-azra-menangkal-munculnya-radikalisme-harus-dimulai-dari-keluarga/
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