よりどりインドネシア

2018年03月23日号 vol.18【無料全文公開】

議会法改正と刑法改正案をめぐって ~インドネシアの民主主義も後退するのか~(松井和久)

2020年04月18日 13:56 by Matsui-Glocal
2020年04月18日 13:56 by Matsui-Glocal

3月12日、国民協議会(MPR)・国会(DPR)・地方代議会(DPD)・地方議会(DPRD)法(以下、議会法)の改正が成立しました。この改正議会法は、1カ月前に国会を通過したのですが、ジョコウィ大統領が署名しないまま、自然成立したものです。

法規成立法(法律2011年第12号)の第73条2項によると、国会を通過した法律は、たとえ大統領が署名しなくとも、国会通過後30日が経てば、自然成立する、と規定されています。

では、ジョコウィ大統領は、なぜこの改正議会法に署名しなかったのでしょうか。以下で、それを説明しながら、改正議会法以外の問題にも触れていきます。

インドネシアの国会(出所)http://hma-rekan.com/official/HMALaw/uploads/2015/10/dpr.jpg

●改正議会法の何が問題になっているのか

それは、改正議会法の第122条1項が問題となったためです。この条項では、「議会や議員の名誉を貶める個人、集団、法人などに対して法的あるいはその他の措置を採ること」を議会顧問審議会(Mahkamah Kehormatan Dewan)の役目として規定しています。

改正前(法律2014年第17号)の議会顧問審議会の役割は、「議員に対する訴えの正当性を調査し明確化すること」とのみ記されていましたが、改正議会法では、議員の倫理規定違反の防止、議員の言動や態度に対する監視など14項目が記されています。

この14項目の役割の一つが「議会や議員の名誉を貶める個人、集団、法人などに対して法的あるいはその他の措置を採ること」なのです。

これを拡大解釈すれば、一般人が議会や議員を批判し、それが議会や議員の名誉を傷つけたと見なされれば、その一般人が法的に処罰され得る、ということになります。

昨今、会議中の居眠り、頻繁な出張、そして汚職の横行などで、議会や議員に対する社会の眼は厳しくなっており、政治家に対する批判的な見方はますます強まっています。メディアでの評判を気にする政治家も少なくありません。

そうした批判を合法的に免れるために、この改正議会法を政治家が使おうとしている、とも受け止められています。

批判と名誉棄損は明確に分けるべきものであり、建前上は、批判はすべきだが、名誉棄損はよくない、という認識になります。しかし、実際には、批判されたことが名誉棄損と受け取られる場合が少なくありません。

改正議会法では、議会や議員が誹謗中傷、名誉棄損と受け止めた場合には、議会顧問審議会に訴え、相手に対して法的な措置を採ることができてしまいます。

つまり、この条項を盾に、政治家が自分を守るため、改正議会法を恣意的に活用し、自分を批判した相手を合法的に罰することができ得る、と見られているのです。これは、表現・言論の自由に逆行するものです。

仮にジョコウィ大統領が国会と対立し、国会の機嫌を損ねたりすると、国会顧問審議会を通じて大統領に対して法的措置が取られる可能性もあります。こうした理由で、ジョコウィ大統領は、この改正議会法に署名をしなかったと考えられます。

2018年のインドネシアは、各地で地方首長選挙の準備が進んでいる一方で、何人もの立候補者が汚職疑惑で汚職撲滅委員会(KPK)に逮捕される事態が相次いでいます。政党や議会からは、KPKに対して、地方首長選挙の立候補者への捜査を中止するよう求める声も強まっています。

政治家、議会、議員に対する国民の不信感が高まっているなかで、国民による批判から自らを守る改正議会法が成立したことは、民主主義の後退とみなされても仕方ないように思えます。

ところが、民主主義の後退と受け止められているのは、改正議会法だけではないのです。これとパラレルな形で起こっているのが刑法改正案です。

●刑法改正案と大統領に対する誹謗中傷

刑法改正案は、様々な内容を含んでいますが、改正議会法とパラレルで捉えられるのは、同案の第263条1項における大統領への誹謗中傷に関する内容です。

すなわち、同案では、「大統領または副大統領を公然と誹謗中傷した者は、最長禁固5年または最大3億ルピアの罰金の刑に処する」という内容が書かれています。大統領または副大統領を誹謗中傷した者は刑法により処罰されることになります。

不敬罪のようなものですが、実は、従来の刑法でも第134条、第136条、第137条で同様の規定があるのですが、現在、それらは実効されていません。なぜなら、憲法裁判所が2006年12月4日、これらの条項が憲法における「思想の自由」を侵すとして違憲と判断したためです。

従来の刑法は、まだ植民地時代のオランダの刑法を基にしており、上記の条項はオランダ女王を護ることを想定して作られたものでした。

第134条では、「大統領または副大統領を意図的に誹謗中傷した者は最長禁固6年または最大4500ルピアの罰金の刑に処する」と記載されています。

本誌でもたびたび取り上げたとおり、ジョコウィ大統領や現政権に対するインターネットを使った誹謗中傷が頻繁に起こっています。

地方首長選挙や大統領選挙を控えて、現政権はヘイトやフェイクを取り締まる体制づくりを進めていますが、その一環として、大統領または副大統領への批判者を法的に処罰できる内容を改正刑法案に復活させたいと考えているのです。

これについても、改正議会法への懸念と同様、為政者が恣意的に批判者を弾圧したり、批判できない世の中の空気をつくったりする可能性がメディアなどから指摘されています。これもまた、民主主義の後退と受け止められるでしょう。ちなみに、この条項に対して2006年12月に違憲判断をした憲法裁判所は、現政権の動きに対して批判的です。

この刑法改正は、当初、2月初めに終わらせるのが政府の予定だったようですが、3月22日時点でまだ成立していません。時期的には、まさに、改正議会法と刑法改正がほぼ同じ時期に想定されていたことになります。大統領と議会との間で、これら両者で取引をしているかのようにさえ見えます。

ところで、いわゆる市民派、進歩的なグループやメディアは、改正議会法と刑法改正案が民主主義の後退をもたらすとの懸念を表明しています。しかし、かつて、憲法裁判所に対して刑法第134条などの違憲申請をしたのは彼らではなく、意外な人物でした。むしろ、進歩的なグループやメディアと敵対する人物だったのです。

●違憲判断を勝ち取った者の正体

2006年の刑法第134条等の違憲判断を憲法裁判所に求め、違憲という判断を勝ち取ったのは、エギ・スジャナとパンドポタン・ルビスでした。

前者は、体制側にすり寄って1990年代から示威行動を繰り返し、イスラム強硬派とも連携してリベラル勢力に対峙してきた活動家であり、後者は、2000年代半ばからヘイトや嘘情報拡散などで何度か警察に捕まっている人物です。

この二人が「民主主義に反する」として、違憲申請を行ったのです。そして、違憲判断に基づき、刑法第134号などが無効になった後、彼らは、ジョコウィなどへの誹謗中傷や嘘情報の拡散を積極的に行っていきました。エギ・スジャナは、本誌でも取り上げた、ネットを使って誹謗中傷・フェイクを繰り返してきたグループ・サラセンとのかかわりを疑われている人物であり、パンドポタンは反ジョコウィ・反アホックのフェイク情報を拡散していきました。

前号で取り上げたムスリム・サイバー・アーミー(MCA)に関する記事で、その取り締まりを民主主義の後退だと言って批判したのは、グリンドラ党幹部のファドゥリ・ゾンですが、彼はエギ・スジャナと昔から近しい動きを続けてきています。

すなわち、気をつけなければならないのは、批判を封じるかのような規定を批判する者たちは、純粋に民主主義の後退を懸念する者たちばかりではない、ということなのです。民主主義の後退を懸念するふりをしながら、それを政治的に活用して、敵対する大統領や副大統領を公然と批判し、嘘情報で誹謗中傷をより激しく行うことを目的としている者がいる、ということなのです。

たしかに、議会や議員に対する批判や大統領・副大統領に対する批判が、合法的な法規によって制限されてしまう可能性、それを示威的に行うことで独裁的になり、民主主義が後退するは否定できません。

しかし、敵対する勢力を貶めるために、ヘイトやフェイクが大手を振ってできる状況を作りたいと考える者も存在します。そうした彼らが、いったん権力を握ってしまうと、本当に民主主義の後退、専制政治へ向かってしまうことでしょう。

強いリーダーの専制を志向する傾向が出てきた世界的な流れのなかで、インドネシアの民主主義も後退してしまうのでしょうか。それは、権力者が批判と誹謗中傷とを冷静に分けて考えられる節度を持ち続けられるかどうかが、カギとなるような気がしています。

(松井和久)

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