よりどりインドネシア

2018年02月22日号 vol.16【無料全文公開】

LGBTは排除されるべき社会悪なのか 〜人権と倫理と宗教とのはざまで〜(松井和久)

2020年04月18日 13:49 by Matsui-Glocal
2020年04月18日 13:49 by Matsui-Glocal

1998年5月、32年間にわたったスハルト政権が崩壊して以来、インドネシアは民主化の時代を謳歌してきました。それから20年経った今では、東南アジア有数の民主主義国家となり、かつて「軍事独裁」「開発国家」などと言われた時代は遠くなりました。

その一方で、人々の生活が豊かになるにつれ、ライフスタイルも大きく変わり、欧米や日本と遜色ないような人権意識や民主主義に対する理解も深まっていきました。他方、すべてを金銭や損得で考える思考や個人のエゴ意識、汚職などは、社会が統制を離れ、自由を尊ぶようになったことによる揺るぎともとれる現象として、問題視されてきました。

直接選挙の実施などによる参加機会の均等化が進む一方で、多数派による横暴、少数派への迫害・排除といった動きもあちこちで見られるようになりました。インドネシアの民主主義が本当に根付いていくかどうかの試金石でもあります。

そんななかで、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとったLGBTをめぐる議論が、インドネシア社会のなかで注目され始めています。

実は、欧米文化の影響力に批判的な、とくにイスラム勢力では、LGBTがあたかも麻薬や伝染病のような文脈で語られています。LGBTは宗教的に受け入れられず、その結果、唯一神信仰に基づくパンチャシラ(建国五原則)にそぐわないことになり、社会の乱れを大きくするLGBTは排除しなければならない、という考えが現れています。

LGBTの問題に対する反応には、論理的というよりも生理的な要素を含んでおり、冷静な判断をできにくくさせる面がありえます。2019年大統領選挙を控え、共産主義の台頭、中国批判などとともに、現政権批判のための予想以上に有力な武器となりうる可能性を秘めています。そこで、今回は、LGBTをめぐる最近の動きについて、見てみることにします。

「89.3%のLGBTが暴力を受けている」とのプラカードを持って行進(出所)http://www.thejakartapost.com/academia/2017/03/08/indonesian-womens-march-when-women-and-lgbt-people-unite.html

●憲法裁判所による判決

「インドネシアの家族を愛する同盟」(Aliansi Cinta Keluarga Indonesia: ALIA)という女性グループは、上記のような欧米文化がインドネシアの宗教に根ざした家族文化と相いれないとして、とくにLGBTを問題視しています。2016年、憲法裁判所に対して、刑法の姦通罪(284条)、レイプ(285条)、児童虐待(292条)に関する規定が憲法に違反しているとして、判断を求めました。

たとえば、姦通罪について、ALIAは、同性愛が宗教的価値における禁じられた性交渉に抵触するとして、未成年に限定するとした現規定から年齢制限を外すように求めました。

憲法裁判所は2017年12月14日、ALIAの訴えを退けましたが、9人の裁判官の間でも意見は割れ、5対4での採決でした。ALIAの訴えに好意的だった判事が汚職で更迭され、新任判事がALIAの訴えに反対したことによる結果でした。

●イスラム団体などによるLGBT批判

これまで、LGBTについては、2006年、25カ国から29の国際人権団体が集まり、LGBTの権利を守ることを宣言するジョグジャカルタ憲章が宣言されました。そして、国連開発計画(UNDP)は、LGBTに関する理解をインドネシアで広めるための支援を行ってきました。

しかし、その後、イスラム系団体から相次いでLGBTに対する批判的見解が発出されています。

2014年、インドネシア・ウラマー審議会(MUI)はファトワ第57号のなかで、「LGBTを推進するすべての活動を拒否し、LGBT活動家のすべての活動を禁止する」と述べ、イスラムとしてLGBTは悪であると明確に述べました。

2016年1月には、イスラム擁護戦線(Front Pembela Islam: FPI)のメンバーがバンドゥンでLGBT者の下宿を襲撃したほか、2016年1月には、モハマド・ナシル高等教育・技術調査大臣は、LGBT者が大学キャンパスへ入ることを禁止しました。

情報通信省は、LINEで使われるLGBTを想起させる絵文字の削除を求めました。また、インドネシア放送倫理委員会は、子どもがLGBTを正しいと思わないようにするため、LGBTをノーマルと表現するテレビやラジオの番組を禁止しました。

閣僚の発言も相次ぎ、リャミザード国防大臣は、「LGBT権利運動との戦いは擬似的な戦争であり、それは核戦争よりも危険である」と発言するほどでした。

また、ユスフ・カラ副大統領は2017年2月15日、UNDPによるLGBT権利教育プログラムに対する予算削減を命じましたが、理由については明らかにしませんでした。

●LGBTは治すべき病気?

微妙な立場に立たされたのは、ルクマン宗教大臣です。彼は2016年8月、インドネシア・ジャーナリスト同盟(Aliansi Jurnalis Indonesia: AJI)創立22周年式典に出席し、そこでタスリフ賞を受けたLGBT支援団体に対して、お祝いの挨拶をしました。それがきっかけで、イスラム勢力から親LGBTとのレッテルを貼られ、大臣辞任要求も出されました。

ルクマン大臣は、2017年12月18日、「この地球上でいかなる宗教もLGBTの行為に同意しない」「LGBTに寛容な宗教はない」と発言しましたが、同時に「LGBTを遠ざけて排除するのではなく、社会のなかに受け入れていく必要がある」と述べました。

この発言からは、LGBTの存在をとりあえず認めたうえで、それをノーマルな形に社会のなかで治していく、という考え方がうかがえます。

「LGBTは伝染病だ」と書かれた垂れ幕(出所)http://www.newmandala.org/morality-and-lgbt-rights-in-indonesia/

同様の発言は、ルフット・パンジャイタン海事担当調整大臣も行っており、そこでも、LGBTを治す、という発言が見られます。

2017年12月の憲法裁判所判断では、LGBTを犯罪として処罰の対象とすることは退けられましたが、現在のインドネシアでは、LGBTはまだアブノーマルとみなし、ノーマルになるように治すべきとみなされている、あるいは政治的にそのような表現を使わざるをえない、という状況のように見えます。

ALIAの主張を見ると、LGBTはアブノーマルな病気であり、社会から排除すべきものとみなす傾向がうかがえます。LGBTは社会の倫理や風紀を乱すという点で欧米文化の悪影響の一部であり、人権や民主主義の考え方を伴って浸透してくるので、とくに底辺の教育のない層への積極的な働きかけが必要である、としています。

●歴史的にインドネシアではLGBTが排除されていない

しかし、歴史的に、インドネシアでLGBTが全くなかったわけではありません。むしろ、文化のなかで両性具有の存在が認められているケースがあります。

たとえば、ジャカルタなどのレノンと呼ばれる伝統的な漫才の一種では、女装の男性が道化役を務めるのが普通です。また、スラウェシのブギス族では、天の神の世界と地の民の世界とをつなぐチャラバイあるいはビッスと呼ばれる両性具有者は、神事を司る重要な役割を果たします。

もっとも、後者は1960年代、ダルル・イスラーム運動が盛んになった際に、やはりイスラム勢力による迫害を受けました。

また、歴代の閣僚のなかには、LGBTの大臣もスハルト時代に存在しましたが、差別や排斥を受けることはありませんでした。

歴史的に見ると、インドネシアでは決してLGBTが社会から排除されることはなく、積極的ではなかったにせよ、その存在は認められていたと言えます。

●バレンタイン・デーにみる風紀の乱れ

LGBTを排除すべきと考える人々の頭にあるのが、昨今の若者の風紀の乱れです。それが典型的に現れているのが、バレンタイン・デーです。

2月14日、インドネシアでバレンタイン・デーを盛大に祝うようになったのは、いったいいつ頃からなのでしょうか。というのは、以前はこんなに騒いでいなかったからなのです。

筆者がジャカルタで下宿生活をしていた1990〜1992年頃、バレンタイン・デーは地味なものでした。キリスト教徒が親しい人やお世話になった人へ花を贈り、感謝の気持ちを伝える、という質素なものでした。近所のイスラム教徒は、バレンタイン・デーに何も関心を示していませんでした。

ところが、インドネシアのメディアを見ると、びっくりです。今や、バレンタイン・デーといえば、カップルが一緒に食事をし、デートをした後、夜はホテルに泊まり、極端な場合かもしれませんが、肉体関係を持つ、というような話になっています。ミニマートでは、この日はコンドームがものすごく売れるのだとか。ホテルもバレンタイン・パッケージを派手に宣伝しています。

若者の風紀の乱れ、不純異性交遊、フリーセックスといったものが、現代のインドネシアのバレンタイン・デーの代名詞とさえなっている感があります。

これが、全人口の9割近くをイスラム教徒が占め、イスラム教の影響力が高まっている、と言われるインドネシアの若者の間で起こっていることの一コマです。厳格なイスラム教徒でなくとも、こうした若者の様子に、眉をひそめる大人は少なくないことでしょう。

スラバヤ、マタラム、マカッサルなど全国10都市以上で、市政府はバレンタイン・デーを祝うことを禁止する法令を発出し、警察は、学校など公的な場所で、婚姻関係がないデート中の男女を摘発するなどの措置をとりました。

スラバヤでは、警察が深夜にホテルの各部屋をノックし、中から返事がなければ窓から覗くなどして、22組の未婚カップルを摘発し、拘束しました。

こうした警察の介入は、一歩間違えると、個人の自由やプライバシーを守ることができなくなる可能性を秘めています。風紀の乱れを理由に、こうした権力による介入が正当化される恐れは、例えば、テロ対策を名目としたSNSの監視などでも見られるものです。

前述のALIAによるLGBTの犯罪視は、まさにそのような危険をはらむものですが、ALIAの主張では、それはやむをえないことで、LGBTを排除することが重要と考えているのでした。

●風紀の乱れ批判とイスラムの台頭

世の中が乱れてくると、既存の法律や制度では世直しができないとし、国民から期待がかけられるものの一つがイスラムです。過去20年を少し振り返ってみましょう。

2000年代前半、インドネシアでは各地でイスラム法適用運動が盛んになりました。インドネシアのエリートによる汚職がまん延し、既存の世俗的なシステムでは自浄できないと感じた政治家たちが、イスラム法による以外に世の中を刷新できないと訴え始めます。清新なイメージの福祉正義党などイスラム政党が台頭したのもこの頃でした。

ちょうどその頃は、国際組織と結びついたイスラム過激派によるテロがインドネシア国内でも横行し、とくに、バリ島での2回の爆弾テロの影響は大きなものでした。結果的に、イスラム政党は後退し、世俗主義で親米のユドヨノ政権が2期10年続くことになったのでした。

しかし、バレンタイン・デーの若者たちに見られるように、世の中は浄化するどころか、退廃の度を増しているかのようにイスラム主義者には見えていることでしょう。

こうした状況に対して、そうした若者たちを育ててきた自分たちのしつけ方や育児法を反省することなく、欧米文化のような外来のものに責任を転嫁し、それに対抗するために宗教に走る、ということが起こってきているように思います。

すなわち、ジョコウィを批判する側は、たとえ、現在のジョコウィ政権自体に大きなスキャンダルや失政が見えなくとも、LGBTやバレンタイン・デーに象徴されるような社会の風紀の乱れや退廃を招いてきたのは、やはりジョコウィ政権が無能だからだ、という議論へ展開させられれば、それを正すためには、宗教に力に頼るしかない、という話に持っていけるかもしれません。その意味で、LGBTは、意外に強力なジョコウィ批判の道具となり得ます。

実際、ジョコウィ大統領自身は、LGBTに関して何も発言していません。とはいえ、LGBTやバレンタイン・デーを社会悪とみなす風潮があるなかで、インドネシアの国是である「多様性の中の統一」は、その真価が問われることになるでしょう。

(松井和久)

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