インドネシアには、地域で地道に社会貢献的な活動を続けている人々が、実はたくさんいます。前号(第14号)でご紹介したルルットさんもそうですが、こうした人々はなかなかメディアでは取り上げられず、政治家とも距離を置いているため、一般に知られないままになっています。
日本で見ても、どの地域にも地域の歴史や社会についての深い見識を持った学者のような人たちが埋め込まれています。そうした地元の識者たちの知識や知恵を生かしながら、地域づくりが進められています。
インドネシアでも、そんな人々を発掘し、これまでの努力に敬意を表し、さらに活動を発展させたり、後継者を広げたりすることが必要だと考えています。
そんなことを思いながら、今回は、南スラウェシ州の州都マカッサルから車で10時間と遠く離れた、一地方でずっと農産品加工の研修に取り組んできたサカルディン氏を紹介したいと思います。
サカルディン氏夫妻と筆者(2008年10月)
●農産品加工研修ひとすじの人生
サカルディン氏が運営するのは、南スラウェシ州北ルウ県の県都マサンバにあるマリンド適正技術開発センター(Lembaga Pengembangan Teknologi Tepat Guna Malindo: LPTTG Malindo)です。このセンターは民間施設で、2003年4月23日に開所しました。
このマリンド適正技術開発センターができる前、サカルディン氏は、中スラウェシ州の州都パルで、シラニンディ適正技術開発センター(LPTTG Siranindi)を1986年に設立し、農民を対象とした農産品加工技術研修を行ってきました。
ですから、サカルディン氏は、かれこれ30年もの間、農産品加工研修ひとすじの人生を歩んできたことになります。
マリンド適正技術開発センターの入口
●貧困層や被災者の自立が目的
筆者は、実際に、2008年10月21日にマリンド適正技術開発センターを訪問しました。センターでは、バナナチップ、サゴやしクッキー等の農産品加工、カカオの挿し木栽培法などを学ぶ研修を実施していました。研修で学んだ技術を実際使ってもらうため、研修生は農民に限定しています。
そもそも、このセンターは、貧困層、災害や暴動などの被災者が技術を身につけて自立し、若干でも手取り収入を向上させることを目的として、設立された経緯があります。
●どのように研修を受け入れているか
研修生を受け入れる前に、まず、研修生を送ることを計画している県・市の県知事や市長にマリンド適正技術開発センターを訪問してもらいます。その際に、当該県・市にある地域資源は何か、それらはどの程度利用されているか、農民の研修への意欲はどうか、などを確認します。
そのうえで、1回10日間の研修費用の一切として、一人当たり300万ルピアの支出を求めます。これには、研修で使う材料費以外に、ホームステイ宿泊費用も含まれ、通常の研修に比べると破格に安いコストとなっています。
マリンド適正技術開発センターの研修室風景
研修では、対象農産品の分析から、加工とその技術、保存・包装法、販売、マーケティングまで、21項目を具体的に教えています。半製品加工ができれば、農民は、たとえば生のトウモロコシをキロ1500ルピアで売っていたのが、トウモロコシ・チップにすると、3キロで2万ルピアを得ることが可能になります。
このセンターの指導で製品化した商品については、1袋10ルピアのコミッションを同センターに支払う約束になっています。商標権は県知事・市長が持ち、1袋100ルピアのロイヤリティが県・市収入となります。ちなみに、バンタエン県のトウモロコシ・チップには「チジャンタン」(Cijantan)という商標名がついていました。
マリンド適正技術開発センターで開発された商品数は、すでに600種類以上になりました。
センターで開発されたサゴ椰子クッキー
●研修生はどこから来るか
研修生は、パプア、東ヌサトゥンガラ、マルク、カリマンタン、バリなどから来るそうで、2008年10月の訪問時点では、マリンド適正技術開発センターの所在するスラウェシからは意外に少なく、南スラウェシ州ではバンタエン県のみでした。
研修生は、センターの周辺にある民家にホームステイします。この地域は、ほぼすべての住民がイスラム教徒ですが、パプアや東ヌサトゥンガラからのキリスト教徒の研修生を温かく受け入れています。
どの家でも、研修生は礼儀正しい善良な人たちであり、異宗教間の対立や深刻な誤解は皆無といってよいそうです。
マリンド適正技術開発センターの研修棟
北ルウ県の人口の大半はイスラム教徒のブギス族ですが、なかには、隣県からキリスト教徒のトラジャ族や、バリ島からヒンドゥー教徒のバリ族などが移住してきています。これまでにも、そうした種族どうしの抗争が時折起こり、ときには、トラジャ教会の焼き討ちなどの事態も起こりました。このため、現在でも、地元警察が注意の目を光らせています。
そんななかで、マリンド適正技術開発センター周辺の住民は、様々な異なるバックグランドをもつ研修生を受け入れています。ホームステイを受け入れることで、異なるものへの寛容さが高まるとともに、研修生・受け入れ先とも、他宗教に関する偏見や誤解を払拭させる機会となっていたようです。
●センターの今後
マリンド適正技術開発センターで研修を受けた研修生の数は、正確な数はわかりませんが、1年当たり約300〜500人程度としても、のべ5000人以上にのぼるものと思われます。これらの人々がインドネシアの地方へ散らばり、少しでも所得を上げるために、農産品加工に従事しているのでしょう。
でも、きっとまだまだその数は少ないと思います。地域振興のすそ野を広げるには、農林水産加工研修の機会を拡大させる必要があります。その点で、マリンド適正技術開発センターの持つ経営ノウハウや運営手法を他者に伝播していくのが有用だと考えます。
通常ならば、自分の会社にして加工技術を他者に広めず、利益を専有しようとするはずですが、サカルディン氏は敢えてそうしませんでした。
また、こうした研修は政府もたくさん行っていますが、研修実施の情報が広く流されていなかったり、そのため対象者が政府関係者の知り合いに偏っていたり、研修内容が実践的でなかったりするため、現実には、単なる予算消化に終わってしまうケースが少なくありません。
サカルディン氏は昨年、民主国民党(ナスデム党)に入党し、政治の世界へ踏み込みました。彼が理想とする研修事業の運営の一方で、やはり世間からはなかなかその事業に注目してもらえない、というジレンマがあったのかもしれません。
彼の決断が今後のマリンド適正技術開発センターでの農産品加工研修の運営にどのような影響を与えてくるのか、若干の不安とともに、見守っていきたいと思います。
(松井和久)
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