よりどりインドネシア

2017年12月22日号 vol.12【無料全文公開】

ウォノソボ・ライフ(1) ジャワ島ど真ん中の村で子育て体験(神道有子)

2020年04月18日 13:32 by Matsui-Glocal
2020年04月18日 13:32 by Matsui-Glocal

<はじめに>

今号より、中ジャワ州ウォノソボ在住の神道有子さんによる「ウォノソボ・ライフ」の連載を開始します。神道さんからは、ジャワの農村の人々の暮らしの様子を色々と伝えていただく予定です。そこでは、生活者の視点だからこそ見えてくるものがあります。岡本みどりさんの「ロンボクだより」とともに、どうぞご愛読ください。

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インドネシアを訪れる日本人の多くは、首都であるジャカルタや、世界的観光地のバリ島をまず目にするのではないでしょうか。または第二の都市スラバヤや、古都ジョグジャカルタでしょうか。

そうした有名どころからは少し外れつつも、魅力にあふれたウォノソボというところに私は住んでいます。

●ウォノソボってどんなとこ?

ウォノソボ県は、ジャワ島は中部ジャワ州に属し、ジョグジャカルタから北西に約100キロ行った山間部に位置します。

ウォノソボの中心部

県庁のある中心部は標高800メートルほどですが、高原地帯では2000メートルを超える場所もあります。そのため、平坦な土地は少なく、あるのは坂道と棚田ばかり。比較的涼しい気候であることから、お茶の葉やタバコの葉などが盛んに栽培されています。

ウォノソボの高原地帯のお茶畑

これらはかつてオランダ東インド会社がプランテーションとして始めた事業ですが、今は地元の特産品となり、とくにお茶畑は観光地としても活用されています。また県の北部には、隣県にもまたがるディエン高原が広がり、地熱帯や火山湖、遺跡は重要な観光資源となっています。

住民のほとんどがジャワ人の、いかにもジャワ文化圏ど真ん中、といった土地柄ですが、華人やパダン人も少なくありません。中心部にある市場には、パダン人商人たちが固まって店を出している一角もあります。

ウォノソボの市場風景

●小さな村での暮らしと子育て

私が暮らすのは、中心部から車で1時間弱のところにある小さな村です。周りを森林に囲まれた土地に、「肩を寄せ合う」という表現がぴったりくるくらいに、家々が密集して集落を作っています。

良く言えば緑豊かで、悪く言えば何もない!

湧き水が出るので泉や水田がいくつかあり、ちょっとホッとできる景色が見られます。村民の大半は、農業や商業で生計を立てる家庭か、大工や民芸品作家などの職人です。

しかし、周辺地域に雇用が充分とはいえず、失業中の人もまた珍しくありません。そのため、都市部、あるいは他島、またあるいは外国へ出稼ぎに行く人もおり、父親か母親が不在の家庭も目立ちます。

筆者の住む村

よく言われる田舎のあり方として、近所付き合いが濃厚、というのがあげられます。ここはまさにその通り、隣近所と関わらない日はありません。

雨が降ってくれば、誰かが「雨だよ!」と叫んで、よその家の洗濯物も取り込みます。台所で塩や唐辛子が足りなければ、誰かのところに借りに行きます。

庭に生えているパパイヤやレモンは誰でも採ってよく、畑のキャッサバの葉も自分のものでなくても摘んできて調理します。

祝い事があれば、必ず「スラマタン」と呼ばれる共食儀礼を開き、皆にご馳走を振舞いますが、その準備はご近所の手を借りて行うのです。

スラマタンの準備風景

さて、少子化が叫ばれる日本とは対照的に、ここは乳幼児の比率が高いと言えるでしょう。政府が推奨する、「ひと家庭に子供は2人まで」の「家族計画」は、避妊を意識するきっかけとはなっています。しかし人数については制限ではないので、3人、4人と産むのも当たり前の光景です。

また、かつての子沢山だった時代に生まれた子供が、現在親となる世代のため、次から次に結婚して新しい世帯を作り、新しく赤ちゃんが生まれています。他にも、十代で結婚し、上の子たちが中高生になったからもう1人…とまた赤ちゃんを産む30代・40代のお母さんもいます。

これだけたくさんの赤ちゃんがいても、親が1人で家にこもって子育てをすることはまずないのではないでしょうか。近所や親戚と連携して、家のこと、子供のことをこなしていきます。誰にも頼らず家庭を完結させられるほど、便利な社会保障や道具がないからです。

●家事も育児もこなすには?

洗濯機はこの数年で普及し始めましたが、まだほとんどの家庭は手洗いで洗濯をします。滑りやすい水場での作業に乳幼児を置いておくことは危険極まりなく、不可能です。

また、日本では親子で一緒にお風呂に入る習慣があるため、親が1人のときでも自分も子供も入浴できます。しかし、ここには湯船に浸かる文化はなく、沐浴は個人で行います。親が沐浴するときには、子供を誰かに預けるしかありません。

調理も、ガスコンロはだいぶ普及していますが、薪で煮炊きをすることも普通です。薪は火加減を一定に保てないので、ほぼ付きっきりになるのと、煙が出るので、やはり乳幼児が側にいたのでは難しいものです。

料理をしたい、畑に行きたい、洗濯したい、掃除をしたい、沐浴したい…。そうしたときには、その辺りにいる誰かに子供を見ていてもらいます。偶然家の外で子供を遊ばせている近所のお母さん、親戚のおじさんやおばさん、また小学校高学年になり子守ができるようになった顔見知りの子、相手は様々です。

そうして時間をやりくりし、自分の手が空いているときは、よその子を引き受けます。よその子でも当たり前にご飯を食べさせ、叱りとばし、抱きしめてキスをします。近所の家の子がずっと泣いていたら、様子を見に行きます。

きっと、1人きりで育児をするなんて、考えたこともないのではないかと思えます。たくさんの大人が、たくさんの子供の面倒を見ることで育児が成り立っているのです。

託児所や便利なベビーフードやコンビニ弁当といったものがなく、場合によっては、遠くに働きに行かなければならない。とにかく生活に手間暇がかかるので、人にものを頼む、頼まれるということのハードルが低いのです。

もちろん、前提として普段からの近所付き合い、村の活動への参加、お互いの信頼があってのことです。普段からよそのお宅に出入りし、困ったことも良いことも分け合い、迷惑をかけつかけられつつの関係の延長線上に、子育てシェアがあります。

これを長所ととるか短所ととるかは様々でしょう。明らかにネガティブな側面もあり、たとえば、誰かが感染症にかかれば、それも一気に「シェア」されてしまいます。ただし、現在の日本でたびたび話題に上がるような「育児中の孤独、親の孤立」や「ママ友探しの困難」といったことは、ここで暮らしているとピンときません。

赤ちゃんの7ヵ月祝いの様子

●「地域で育てる」ということ

日本で問題となるワンオペ育児は、家族や地域のあり方の変化によるとともに、自治体のサービスやインフラ、物流が整備された結果、1人でも頑張ればギリギリこなせてしまうものになったこともあるのではないでしょうか。また、衛生観念、防犯、事故防止の意識が高まり、プロでない人に子供を預けることは問題とされるようになっているでしょう。

よって、この村のようなケースを「日本の育児問題の参考に」とは思いません。今の日本の社会には合わないからです。

ただ、孤立する育児の対策として示される「地域で子育て」「地域のつながり」が生きている社会、というのはどんなものなのか、どういった背景や要素があり実践されているのか、一つの例として紹介しました。

ジャワ人は、子供はルジュキ(幸運、福)を持って生まれてくると言います。だから、産んだ後のことなど心配しなくていいと。

生活水準が向上し、医療、衛生、教育に力を入れて充実させるべきとされる現代では、そうした昔ながらの考えは、相反することもあるでしょう。実際に生まれた後に困窮してしまうこともあります。

しかし、行政からの支援がほとんどないここで子供を持つには、それくらいの明るさ、希望が必要なのだろうとも思います。

また、これは推測ですが、こうした共同体内で子育てをシェアするケースは、インドネシアの様々な地域で見られるのではないかと思います。隣近所の垣根が低く、気軽にコミュニケーションが取れる気風は、都市部に住んでいても感じることがありました。

個人とプライバシーを尊重する社会は、1人で生きていくにはとても心地よいものです。侵害されたくない領域、時間というのは、きっと誰しもあるはずでしょう。

しかし、その個人主義が際立つと弊害を受けるものの一つに、子育て環境があるのかもしれません。子育てはとにかく人手がいるものです。

家族の成員だけで行おうとすれば、ひとりひとりへの負担は大きくなります。適度にプライバシーも確保しつつ、足りない人手をどう補うか、育児不安をどう解消するか、きっとすべての子育て家庭が直面する問題で、それぞれの地域に合ったやり方があるのだろうと思います。

(神道有子)

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