インドネシアでは、国軍司令官人事が発令され、前司令官のガトット・ヌルマンティヨ(Gatot Nurmantyo)陸軍大将に代わり、現空軍参謀長のハリ・チャフヤント(Hari Tjahyanto)空軍大将が新司令官に就任します。
今回は、この新旧国軍司令官について、ちょっと調べてみた情報をお知らせします。その前に、インドネシアにおける軍人の位置づけとその変遷について、ちょっとだけ説明しておきます。
1990年代頃まで、インドネシアの現代政治研究者は、常に国軍幹部人事に注意を向けてきました。なぜなら、彼ら国軍幹部がいずれ政治の表舞台で重要な役割を果たす、政治エリートとなっていったからです。
1966~1998年の32年間にわたってインドネシアを統治したスハルト元大統領も陸軍の出身で、彼の重要な権力基盤のひとつが国軍でした。また、2004~2014年に大統領職を2期務めたスシロ・バンバン・ユドヨノ氏も陸軍出身の退役軍人です。さらに、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)現大統領への対抗勢力を代表する野党・グリンドラ党のプラボウォ・スビヤント党首も陸軍退役中将です。
かつては、「二重機能」の名の下に、国軍は国防治安機能だけでなく、社会政治機能をも果たすことが正当化され、国会や地方議会に任命議員からなる国軍会派を形成していました。現在では、この国軍の二重機能は解消され、政治的に中立を守ることが原則となりました。また、治安機能が警察へ移行したため、国軍は国防機能に特化したプロフェッショナルな組織となりました。
国軍幹部の人事も、かつてのような抜擢人事は後退し、ほぼ順当なローテーションによって進められています。選抜基準等も公開性が高まり、今回の国軍司令官人事でも、国会による資格適正審査が行われています。
今回は、ずばり、新司令官、前司令官とはどのような人物なのか、を探ります。彼らがどんな人物かを知ることが、来年、再来年の政治動向をみていくうえで、重要な情報になると思うからです。とくに、ガトット前司令官の今後の動向は注目されます。それはなぜなのか。以下で説明していきます。
合わせて、2019年大統領選挙へ向けての、現段階での私なりの見方を書いておきます。
●ハリ・チャフヤント新司令官の横顔
ハリ・チャフヤント新国軍司令官は、1963年11月8日、東ジャワ州マラン生まれ。1986年に空軍アカデミーを卒業した後、1987年にマランにあるアブドゥルラフマン・サレー空軍基地第4軽飛行隊からキャリアを始めます。1993年から同軽飛行隊の教育訓練部長を務めた後、1996年には重飛行隊へ異動するものの、以後もパイロットの養成・教育訓練畑を歩いていきます。
1999年にジョグジャカルタのアディスチプト空軍基地で教官を務めた後、2000年に同空軍基地の防衛治安部長、2001年に空軍士官学校作戦部長、2006年にアブドゥルラフマン・サレー空軍基地人事局長を歴任しました。
2010年にはソロのアディスマルノ空軍基地司令官に就任した後、2011年から2年間は国家救難庁(Badan SAR)作戦訓練部長を務めました。そして、2013~2015年に空軍スポークスマン、2015年にアブドゥルラフマン・サレー空軍基地司令官を務めた後、2015~2016年に大統領軍事補佐官を務めました。
そして、2016年に国防省監査長官を務めた後、空軍参謀長となり、1年も経たないうちに国軍司令官へと上り詰めたことになります。
国軍司令官のポストは、1999年までは必ず陸軍出身者が占めてきましたが、その後は、陸軍、海軍、空軍の参謀長が交代で就く慣例になっています。ただし、実際には、1999年以降の国軍司令官は、海軍→陸軍→空軍→陸軍→海軍→陸軍→陸軍と続いてきて、空軍出身者が国軍司令官に就任するのは約10年ぶりとなります。
ハリ新司令官の履歴で注目されるのは、2015~2016年に大統領軍事補佐官を務めたことです。すなわち、ハリ新司令官はジョコウィ大統領のすぐ下で勤務した経験を持つ軍人で、その時の働きぶりを大統領から高く評価されたことが、今回の国軍司令官への就任にも大きく関係しているはずです。
おそらく、ハリ新司令官がジョコウィ大統領と出会ったのは、2010年にソロのアディスマルノ空軍基地司令官に就任した頃ではないかと察します。当時、ジョコウィ氏は90%以上の驚異的な得票率でソロ市長に再選されたばかりでした。その時の縁で、その後、大統領軍事補佐官に起用された可能性があります。
ジョコウィ大統領は、ハリ新司令官に対して、国軍のプロフェッショナリズムをさらに高めることを期待しています。
ハリ新司令官は、国軍の創設者であるスディルマン将軍、規律と質素を旨としたモハマド・ユスフ元国軍司令官の二人を尊敬する人物として挙げています。決して名前の良く知られた人物ではありませんが、いや、それだからこそ、国軍が政治化せず、中立でプロの国防集団としての役目をより強固にすることをジョコウィ大統領は目指したと読むことができます。
●ガトット・ヌルマンティヨとはいったい何者なのか
ところで、今回の国軍司令官人事が注目されたのは、政治的中立を堅持するプロの国防集団であるはずの国軍で、そのトップであるガトット前司令官が、何度か政治性を帯びたと取られる発言をしたことが背景にあります。
たとえば、昨年12月2日にジャカルタでイスラム教徒による大規模なデモ・集会が発生した際、ガトット前司令官は白いペチ帽を被り、デモ隊への親近感を示しました。デモ隊からは、一時、ガトット前司令官に対する支持と期待が大きく膨らみました。
また、今年9月、かつて毎年9月30日に放映されていた、インドネシア共産党によるクーデター未遂事件の残虐性を強調した映画を、再び放映することに賛意を表しました。ガトット国軍司令官(当時)のこうした行為は、国軍の政治的中立性に疑問を投げかけるものとして、賛否両論の議論を引き起こしました。
さらには、彼は、アメリカ海兵隊がオーストラリアのダーウィンに駐留することを批判したり、インドネシア側に対する尊敬の態度が薄いという理由でオーストラリア軍との合同演習を中止したりするという事件も2017年初頭に引き起こしました。
その後、彼がジャカルタから訪米しようとした際に、アメリカ政府の要請でエミレーツ機への搭乗が拒否され、渡米できないという事件もありました。当時、ジョコウィ大統領がガトットを制御できていないのではないかとの観測が外交筋では出ていました。
こうしたガトット前司令官については、次の2019年大統領選挙に立候補するのではないかとの観測が出ています。ムスリムとの近さからジョコウィに対抗するのではないかという見方と、ジョコウィと組んで副大統領候補になるのではないか、という見方が入り混じっています。
果たして、ガトット前司令官は、国軍の中立性を脅かしたために国軍司令官職を更迭されたのでしょうか。あるいは、ジョコウィ大統領にとっての政敵であるイスラム強硬派に近いとみなされて、更迭されたのでしょうか。ガトット前司令官はジョコウィ大統領にとって敵なのか味方なのか。こうした点から、彼への注目度が俄然上がっているのです。
いったい、このガトット・ヌルマンティヨという人物は何者なのでしょうか。
メディア等で公開されている彼の略歴は以下の通りです。
- 1960年3月13日、中ジャワ州テガル生まれ。
- 父親は、ガトット・スブロト将軍の指揮下で独立戦争を戦った軍人で、それが理由で子供にガトットと名付けた。母親はチラチャップのプルタミナ(国営石油公社)幹部の娘。
- 3人の兄が陸軍、海軍、空軍に所属していた。
- 小学1年まで西ジャワ州チマヒ、中学2年まで中ジャワ州チラチャップ、高校卒業まで中ジャワ州ソロ。
- 1982年に国軍士官学校を卒業。
- 第315ガルーダ歩兵大隊(ボゴール)支援中隊第81小隊長。
- 第320バダック・プティ歩兵大隊(セラン)銃器第B中隊長。
- 第310キダン・クンチャナ歩兵大隊(スカブミ)銃器第C中隊長。
- シリワンギ師団(バンドン)司令官副官。
- 第731歩兵大隊長(中マルク)。
- 第1707隊区(メラウケ)。
- 第1701隊区(ジャヤプラ)。
- 陸軍副参謀長付個人秘書官。
- ジャヤサクティ首都防衛第1旅団司令官。
- ジャヤ師団参謀長付作戦担当補佐官。
- ジャヤ師団中核連隊司令官。
- スルヤクンチャナ第061連隊区(ボゴール、スカブミ、チアンジュール)司令官(2006~2007)。
- 陸軍戦略予備軍第1歩兵部隊参謀長(ボゴール)(2007~2008)。
- 陸軍教育訓練センター教育部長(バンドン)(2008~2009)。
- 国軍士官学校校長(2009~2010)。
- ブラウィジャヤ師団(マラン)司令官(2010~2011)。
- 陸軍原則教育訓練所司令官(2011~2013)。
- 陸軍戦略予備軍司令官(2013~2014)。
- 陸軍参謀長(2014~2015)。
- 国軍司令官(2015~2017)。
- 全インドネシア柔道連合(PJSI)副事務局長(2010)
- インドネシア空手道スポーツ連盟(FORKI)会長(2014~2018)
ガトット氏がアメリカやオーストラリアから注意人物とみなされているのは、やはりおそらく、白いペチ帽を被って、2016年12月2日のイスラム強硬派による大規模デモへ向けた親近感に、インドネシアによるイスラム過激派・テロ対策が不十分になるとの恐れを抱いたためでしょう。その後、彼が採った反米的な態度もまた、アメリカからすれば危険人物と見なしたことでしょう。
その一方で、ガトット氏が親近感を示したイスラム強硬派の間からも、ガトット氏に対する不信感が現れ始めています。すなわち、ガトット氏があのデモの際に親近感を示したのは、ジョコウィ大統領の指示によるジェスチャーであり、大統領再選を狙うジョコウィ側がイスラム勢力を取り込むための芝居だったのではないか、という見方です。
国軍では、1990年代まで、民族主義を重視する「赤派」とイスラムを重視する「緑派」との勢力争いが見られましたが、ガトット氏の過去がそのいずれであったかについては、まだ不明です。
ガトット氏はかつて、「中国人労働者1千万人の流入とか共産党の復活とかは、インドネシアの治安を脅かすための嘘情報だ」と述べる一方、インドネシアが外国からの様々な脅威にさらされていることを警告しています。自主・自立という考え方は、たしかに、ジョコウィ大統領とも近いものがあります。
●2019年大統領選挙へ向けて
コンパス紙が11月26日に発表した世論調査結果によると、次の大統領選挙がジョコウィとプラボウォの対決となった場合、支持率はジョコウィ53%、プラボウォ33%で、ジョコウィ人気はまだ続いています。また、ジョコウィ政権への満足度は68%と極めて高い水準にあります。
しかし、それでも、ジョコウィ大統領は再選できるかどうかは、まだ安心とは言えません。先の2014年の大統領選挙、2017年のジャカルタ首都特別州知事選挙など、選挙時にイスラム強硬派が大動員をかけ、誹謗中傷の限りを尽くし、有権者の投票行動に影響を与えることは大いにあり得るからです。
イスラム強硬派が繰り返し採ろうとするこの戦略は、有効であり続けるのでしょうか。2017年12月2日には、1年前の大規模デモを記念する大規模デモが行われましたが、1周年という以上の大義名分は見当たらず、しかも、主催者側で内部対立が起き、1年前に主導的な役割を果たしたメンバーが参加しない、といった状況が起こりました。1年前には大規模デモを資金面で支えた実業家ハリ・タヌスディブヨ氏が現政権支持へ変節するなど、求心力を失いつつある様子も見られます。
ジョコウィを貶めようとする側は、今、攻め手を欠いているように見えます。敵失も起こらず、ジョコウィ政権のどこを攻めたらいいのかが見えず、焦っている様子さえうかがえます。親中色の強いジョコウィ政権には、反米カードはあまり通用しませんし、第1位の貿易相手国である中国のインドネシア経済への影響を考えると、反中国・反華人カードを使うのはインドネシアにとって自滅行為になりかねない危険を伴います。そもそも、再び立候補を考えるプラボウォ側に、前回の大統領選挙から新たに何かプラス要素が加わったわけではないのです。
それでも、ジョコウィ側にとっては、次の大統領選挙で盤石を期すために、イスラム強硬派による大衆動員や誹謗中傷に対する対策を冷静に採っていきたいところです。アホック前ジャカルタ首都特別州知事を貶めるビデオをねつ造したブニ・ヤニ氏に禁固1年半の判決があり、SNSへの監視を強める姿勢も示しています。
また、ジョコウィの信頼の厚いハリ・チャフヤント空軍参謀長を国軍司令官に据えて、同じく信頼の厚いティト国家警察長官とともに、軍・警察をしっかり抑えにかかっています。
果たして、ガトット氏はジョコウィの味方なのか、敵なのか。味方だとしても、過去のいきさつから、ジョコウィとしては組みたくない相手なのか。あるいは、状況によっては、味方だと思っていたら突然敵になるのか。はたまた、結局、ガトット氏は政局から取り残されて、ただの過去の人物となるのか。
メディアからの注目が集まるなかで、ガトット氏の動向が注目されます。
(松井和久)
読者コメント