バンジャルマシン、と言われて、それがどこかすぐに分かる人は、本メディアの読者でもそう多くはないかもしれません。
バンジャルマシンは、二つの大きな河が入り混じる水の町。早朝の水上マーケットがとくに有名です。約67万人の人口の大半がイスラム教徒の町で、南カリマンタン州の州都でもあります。
2015年10月、バンジャルマシンへ友人を訪ねて行った際、「日本人が最近ラーメン屋を作ったんだ!食べに行こう!」と誘われて、行ってみたのが、ラーメン明石でした。
ラーメン屋というよりもおしゃれなカフェのような内装が目を引く店内は、多くの地元の若者が集い、開店間もなかったにもかかわらず、すでにコアなファンが付いている、と友人は熱く語ってくれました。
そこで出会ったのが店主の清家さん。
仕込みの関係で、その時はあまり多くのことは話せませんでしたが、清家さんのアクティブなフェイスブックの更新やその活動から、筆者は彼の行動にどんどん惹きつけられ、私が心の底からリスペクトするインドネシアでの起業家の一人となりました。
インドネシアで起業をする人のほとんどが、ジャカルタに集中しているのは間違いありませんが、地方にもたしかに面白い起業家はおり、清家さんはそれを代表するような一人であることは間違いありません。
以下、一問一答式で、清家さんにお訊きしてみました。
●なぜバンジャルマシン?なぜラーメン?
問 お名前と会社名をお願いします。
清家 PT. Sanjaya Satu Suksesの清家威一郎(せいけ・たけいちろう)です。
問 日本での社会人経験から今までのお仕事の簡単な経歴を教えてください。
清家 27歳くらいまでは、ずっと大阪でフリーター生活してました。で、そこから自分の人生をやり直すべく一度ホテルに就職したんですが、すごい内向きの狭い社会が耐えられず、結局街場のバーでフリーター生活へ戻ることに。
その頃声をかけていただいた社長に「新しくステーキハウスを立ち上げるから来ないか」と声をかけられて、そこで心機一転、馬車馬のように働きました。
飲食業で、しかも立ち上げ時の責任者を任されたということで、相当ブラックな労働環境で社畜みたいな働き方をしてたんスけど、裁量権もかなり任せてもらえたので、すべての仕事が新鮮で楽しかったです。
3年間でラーメン店を4店舗、ステーキハウスを2店舗、鍋料理店を1店舗と、色んな現場の立ち上げを経験させてもらえたんですが、今思えばあの時に学んだ「『気合と根性』があれば大抵のことはなんとかなる」ってことが自信につながったんだと思います。昭和のスポ根ですねえ。
問 インドネシアのどういったところが好きですか?
清家 アジア全体に言えることだとは思うんですが、チャンスが大小ゴロゴロ転がってる状況。
●壮絶な展開
問 インドネシアで起業を決めたきっかけは? また、その経緯も教えてください。
清家 学生時代から海外に出たいという気持ちは漠然と持ってたんス。で、前の会社で働いてるうちに、飲食業にもこれから英語が必要になってくると思って、会社を辞めて、貯めたお金で、当時流行りだしてたフィリピン語学留学に3カ月ほどいってみました。
帰国後のこととかは特に何も考えてなかったっスねえ。
で、フィリピン留学時にまた違う人から「ラーメン屋をインドネシアに進出させたい」と声かけてもらったので、それに便乗させてもらったかんじですね。
現地スラバヤの華僑との共同経営みたいな感じでスタートしたんですが、最初聞いていた話とは全く違って、全然店舗内装工事が進まず、予定していた開店日も大幅に遅れることになって、そのあいだの給料は支給されず。開店したら開店したで、給料がちゃんと支払われたのは初月のみで、後は未払い状態のまま、宿も店の2階で住み込み生活、とまあ大変やったっスねえ。
働けば働くほど借金が増えてく、謎の労働環境でしたわ。
一緒にインドネシアに入った日本人同僚なんかは、途中で日本人社長に「給料払えないから、一旦日本へ帰国して、バイト等で出稼ぎ(笑)して、金持ってきてくれ」とか言われてたっスね。
自分は他の日本人在住者と毎晩酒飲んでるだけの日々やのにね(愚痴)。
今思えばムチャクチャやったっスね(笑)。
そんなこんなで、なんとかキツいながらも生活してたんですけど、ついに経営観とお金のトラブルから、現地の華僑社長と日本人社長とが決裂して喧嘩別れしたんス。
自分も、あることないこと言われて、ガンガンとばっちりくらってたんで、自分は「もう一人でフラッとカンボジアにでも行こうかな」と思ってたんです。
で、結局、日本人社長からの8ヵ月給料未払いの状況とあと、現地華僑の社長から泣きつかれたってのもあって、3ヵ月だけその店に残って再建のお手伝いをするという約束で、もう少しだけその店で働くことになったんですが、この華僑社長ってのもクセもんで、契約書やビザ関係その他で色々誤魔化されて、現地華僑社長ともトラブルになりそうやったんス。
まあそういったゴタゴタがあった矢先に、そのお店に突然、税務署&警察のガサ入れが入ったんです。
日々のお店の売り上げも見せてもらえない状況で、突然の出来事にパニック状態やったんスけど、現地の華僑社長がどうやら脱税をしていたみたいで、それがバレて、てんやわんやの状況になって、正直この時は、この国早く出たいって思ってましたね(笑)。
ホンマ自分の人見る目がなかっただけなんスけどね(笑)。
華僑社長からは、パスポートを預かって帰国できないようにしてきたり、そのお店を辞める時も脅されたり、とかあったんですが、なんやかやとがんじがらめの状況でキツかったとき、当時従業員だったデフィーに「ウチの地元に来てラーメン屋自分で始めたらどう?色々手伝うよ」って一声かけられて、バンジャルマシンで自分のお店を営業することになりました。
問 壮絶な展開ですね…, 飲食の中でもラーメンを選んだ理由は?
清家 当時、世界に通用するのが寿司とラーメンっていうのがあったいうのと働いてた経験からです。
問 これからの会社のビジョンを教えてください。
清家 現在インドネシアのイスラム・ウラマー審議会(MUI)からのハラル認証を取得手続き中なんですが、多分インドネシアでのラーメン屋(日本人経営)では初めてとなると思うので、それを武器に、今後マレーシアやその他中東なんかのムスリム圏にレシピを売っていきたいと思っています。
問 マネタイズ面で苦労したところをお聞かせください。
清家 正直、ジャカルタとは違うので、原価ギリギリの価格設定にしているんですが、日本のラーメン自体を知らない人も多くて、インドミーとよく比べられて、「なんで乾燥麺を使わないんだ?」とか「調味料の粉で味付けするだけなのになんでこんなに値段が高いんだ?」とかよくクレームをいただきました(笑)。
一つ一つ、インスタグラム等で、鶏ガラからスープ炊いてるところの作業風景なんかをアップすることで、ようやく少しずつ、お客様にはわかってもらえてきたかなと思います。
問 資金調達はどういったところから?
清家 バンジャルマシンに来た当初は、財布の中の2000万ルピアのみしか持っていない状況でのスタートとなったんですが、ビザ取得のための現地会社設立から始まって、実際開店するまでの間の当座のお金は、デフィーのお兄ちゃんに8000万ルピアほどお金を借りてのスタートになりました。お金が全くない状態での開店になったので、店舗内装もYou Tubeで勉強して、全部自分で試行錯誤でやってみました。
●飲食のマネジメント、オペレーションの神髄に迫る!
問 会社のマネージメントで苦労したところを教えてください。
清家 4年も住んでるんですが、言葉が全然アカンので、意思疎通に問題があり、スタッフ教育なんかは「気合と根性」だけで乗り切ってます!
問 フランチャイズの為にマニュアルなどを作成されているかと思いますが、そのマニュアルの実際の現場での浸透具合についてはどう感じますか?
清家 ウチのスタイルは、インドネシアでは多分珍しいと思うんですが、基本的にかなりのスパルタ方式でやってます。
指示通り言ったことができないこととかや、遅刻自体は事前の連絡があれば全然OKにしてるんですが、小さなウソや言い訳をした段階で、すぐクビにしたりします。
言葉が通じない分、大事なのは信頼関係になってくるので、学歴やスキルなんかよりも、言い訳しないことやウソつかないことのほうを重要視しています。
そして、細かいことまでなんどもなんどもキッチリ言います。マニュアル制作なんかも自分たちで作らせますが、出来上がってきたものを容赦なく却下して作り直させたりなど、インドネシア人からしたら面倒くさいボスだろうとは思うんですが、ここバンジャルマシンには他に日本人がいないことをいいことに、「これが普通の日本式や」という感じで熱血指導しています。
合う子は残りますし、合わない子は1日で来なくなりますね(笑)。
問 インドネシアスタッフの交流で感じることは? 社内ではどんな会話をされるのですか?
清家 あんまり先のことを考えるのが苦手な子が多いので、今やってることが自分の将来にどうつながっていくのかなんかを教えたりしています。ええ奴も悪い奴も、仕事できる奴もボンクラも正直な奴も小狡い奴も、普通にみんなフェアに接するようにはしてますね。平等やなくて公平に。
あと、基本的には社内ではなんでも話しますね。スタッフの将来の夢とか恋愛事情を相談したり、どうでもいい下ネタ話とかゴシップ話なんかも普通にします。
問 ご自身の仕事などの哲学を教えてください。
清家 「人生倒れるときも前のめり」“ganbatte sampai mati”
問 普段はどういった人と交流がありますか?
清家 スタッフやお客さんの交友関係に誘われたりとかしますが、基本的には一人です。
けど最近、これじゃアカンなって思い出したんで、どっかのコミュニティに参加するよりも、バンジャルマシンで自分で新たにコミュニティを作り出そうとしています。
バンジャルマシン在住の外国人自体がすごく少ないこともあったり、自分自身がここバンジャルマシンで変わった人扱いを受けているので、「なんやコイツ? 変わった奴やな〜」って興味持った人がすこしづつ集まってきてる感じデス。
日本人いないんで日本人の友達ほぼ皆無状態(笑)。
前のスラバヤの出来事もあったんで、日本人会みたいな在住者同士の集まりも正直いいイメージがないんです。酒飲んでるだけで仕事しないイメージ。
インドネッシャの田舎で、猿山の大将になってます。目立ちたがりの人見知りなんで、遠目でそっと見守ったってください。
問 今後事業拡大に向けてどういった人員が欲しいと考えられていますか?
清家 インドネシアの変人(普通の常識にとらわれない人)。
今のインドネシアは、日本でいうと昭和バブル時代と現代をごっちゃ混ぜにした感じなんで、目立ったもん勝ちやと思ってます。リスクもデカイですけど。
なんで、ちょっと変わった考え方してる子が集まったら、オモロ会社になって、オモロいこと、どんどんできるんちゃうかなって思ってます。
問 これからインドネシアで起業を考える人へメッセージをどうぞ。
清家 チャンスゴロゴロ。
* * * * * * * * *
いかがでしたでしょうか?
訊けば訊くほど、清家さんの前向きなパワーを感じます。
ちなみに清家さんはこのインタビュー後、10月27日に見事MUIハラル認定を取られたそうです!!
カリマンタンにお立ち寄りの際は、是非彼のラーメンを!
また、彼の取り組みは日本のテレビ番組、『グッと!地球便』にも取り上げられており、映像を探すことができたら、ぜひとも観ていただきたい面白い内容になっているはずです。
http://www.ytv.co.jp/chikyubin/oa/article20170219.html
(大島空良)
読者コメント