よりどりインドネシア

2017年11月07日号 vol.9

米作農業の現場で始まっていた機械化

2017年11月07日 14:46 by Matsui-Glocal

インドネシア人の主食はもちろんコメです。1970~1980年代のいわゆる「緑の革命」の影響で、それまで世界最大のコメの輸入国だったインドネシアは、1984年にコメの自給を達成し、農業政策の成功事例として、国際食糧機関(FAO)から表彰されました。

そしてそれは、それまでイモやキャッサバなどを主食としてきた主にジャワ島外の人々をコメの消費へと駆り立てました。主食に占めるコメの割合は、1950年代の50%前後から1990年代には90%以上へ急増しました。コメを食べることは、近代化の象徴と人々に受け止められたのです。

ピンラン県の収穫前の稲

インドネシアの米作の中心地はジャワ島です。全人口の半分を超える1.5億人が生活するジャワ島の米作は、たくさんの労働力を投入し、狭い土地の生産性を究極まで高める形で行われてきました。人口の多いジャワ島では、農業の機械化はおそらく起こらないのではないかとずっと思われていたほどでした。

ところが、状況は変わってきました。経済発展が進むにつれて、農業以外の雇用機会が増え、農村でのとくに若い世代の農業ばなれが顕著になってきました。農家の子どもは親の後を継がず、街へ出ていくようになりました。1970年代の日本で見られたような、農業の後継者問題があの人口稠密なジャワ島でも深刻な問題として認識されるようになったのです。

1970年代の日本は、農業の機械化を促進して省力化を進め、高齢者や女性でも農作業が難なくできる環境を整えていきました。この農業の機械化は、農協を通じた農業機械購入に係る融資制度が大きな役割を果たしました。

インドネシアは、今後の農業の持続性を確保するために、どうして行けばいいのでしょうか。雇用機会の拡大を常に第一としてきたインドネシアでも、もはや農業の機械化はタブーではなく、機械化をどう進めるかが重要な課題の一つとなっていることは間違いありません。しかし、農協のような大組織がなく、農業機械の購入を促す制度金融も整っていないなかで、いったいどうやって農業の機械化を進めていけばよいのでしょうか。私自身は、これまで、インドネシアの米作農業の将来についてけっこう悲観的に見ていました。

たまたま10月後半、用務でインドネシアの米作農業の現場を訪問する機会を得ました。そこで見たものは、訪問前の私の予想を大きく覆すものでした。何が現場で起こっていたのか、以下、ご報告します。

(以下の内容へ続く)

  • 機械化をめぐるここ数年の変化
  • コンバインの貸借
  • 運搬のための新兵器の登場
  • 機械化で新たに考えなければならなくなったこと

 

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