インドネシア人の主食はもちろんコメです。1970~1980年代のいわゆる「緑の革命」の影響で、それまで世界最大のコメの輸入国だったインドネシアは、1984年にコメの自給を達成し、農業政策の成功事例として、国際食糧機関(FAO)から表彰されました。
そしてそれは、それまでイモやキャッサバなどを主食としてきた主にジャワ島外の人々をコメの消費へと駆り立てました。主食に占めるコメの割合は、1950年代の50%前後から1990年代には90%以上へ急増しました。コメを食べることは、近代化の象徴と人々に受け止められたのです。
ピンラン県の収穫前の稲
インドネシアの米作の中心地はジャワ島です。全人口の半分を超える1.5億人が生活するジャワ島の米作は、たくさんの労働力を投入し、狭い土地の生産性を究極まで高める形で行われてきました。人口の多いジャワ島では、農業の機械化はおそらく起こらないのではないかとずっと思われていたほどでした。
ところが、状況は変わってきました。経済発展が進むにつれて、農業以外の雇用機会が増え、農村でのとくに若い世代の農業ばなれが顕著になってきました。農家の子どもは親の後を継がず、街へ出ていくようになりました。1970年代の日本で見られたような、農業の後継者問題があの人口稠密なジャワ島でも深刻な問題として認識されるようになったのです。
1970年代の日本は、農業の機械化を促進して省力化を進め、高齢者や女性でも農作業が難なくできる環境を整えていきました。この農業の機械化は、農協を通じた農業機械購入に係る融資制度が大きな役割を果たしました。
インドネシアは、今後の農業の持続性を確保するために、どうして行けばいいのでしょうか。雇用機会の拡大を常に第一としてきたインドネシアでも、もはや農業の機械化はタブーではなく、機械化をどう進めるかが重要な課題の一つとなっていることは間違いありません。しかし、農協のような大組織がなく、農業機械の購入を促す制度金融も整っていないなかで、いったいどうやって農業の機械化を進めていけばよいのでしょうか。私自身は、これまで、インドネシアの米作農業の将来についてけっこう悲観的に見ていました。
たまたま10月後半、用務でインドネシアの米作農業の現場を訪問する機会を得ました。そこで見たものは、訪問前の私の予想を大きく覆すものでした。何が現場で起こっていたのか、以下、ご報告します。
●機械化をめぐるここ数年の変化
どうやら、米作農業の機械化はここ2~3年で大きく変化した様子なのです。その一番手は、収穫作業の省力化です。平坦な穀倉地帯に限られるのかもしれませんが、コンバインが多数導入されてきました。
農業省によると、過去3年間で、全国で約2万台のコンバインを国家予算で購入し、全国各地へ供与したということです。しかも、これまでの安価な中国製ではなく、日本製の機械が供与されてきています。
今回訪問した南スラウェシ州ピンラン県では、これまでに全県で約400台のコンバインが導入されています。驚くことに、そのうち、政府から供与されたのは65台に過ぎず、残りは民間が自前で購入しているということです。
コンバインの導入で、収穫作業に必要な労働力が約5分の1以下に省力化され、作業効率が大幅に改善されました。これだけ農業労働が楽になると、もはやコンバインなしの収穫作業から昔の手作業へは戻れないのが実情です。
コンバインで刈り取り作業中
●コンバインの貸借
政府からのコンバインは、農民グループや、農民グループ連合体や、その他リーダー的農民に対して供与されるようですが、そのコンバインを活用することで、農民のビジネスマインドを高めることも目的としています。すなわち、政府は、コンバインが貸借されることを想定して供与していることがうかがえます。
コンバインを供与された者は、運転手1名、もみ米袋の縫製担当1名、運搬者6名の8名でグループを構成します。作業量は1日6時間で3ヘクタール、1袋120キロのもみ米袋で200~250袋相当を処理します。
コンバイン・グループは、収穫量12~13袋につき1袋の割合で、もみ米で報酬を受け取りますが、最近は、金銭での受け取りが増えているようです。その場合には、収穫したもみ米を商人へ売った後、1~2日後に現金で支払われるということです。
コンバインを利用したい農民は、コンバイン・グループに電話で連絡をし、作業をしてもらいます。何もなければ、電話をした翌日に来てもらえるようです。
このコンバイン・グループは、自分の県だけでなく、求めがあれば、コンバインを従えて他県へ出向いて収穫作業もします。県ごと・地域ごとで微妙に収穫時期が異なるのですが、その情報をSNSなどでやり取りして、効率的に把握しています。ピンラン県での収穫が真っ最中のときには、他県からコンバインがやってくるし、他県の収穫期には、もしピンラン県の収穫作業がなければ、ピンラン県から他県へ出かけていくのです。
今回訪問した水田までの道は、トラックが入れない、コンバインだけは何とか持ってこられる程度の細い道でした。しかも、大通りから2キロぐらい離れています。ここで収穫したもみ米の袋は、どうやって運び出されるのでしょうか。
●運搬のための新兵器の登場
まさか、運搬労働者が120キロのもみ米袋を担いで、2キロの道を持っていくわけにはいかないだろう、と思っていたら、突然、轟音が鳴り響いてきました。
轟音のもとは改造バイクでした。サングラスをした若者が操る、ナンバープレートの付いていないバイクが9台、水田へ向けて走ってきました。
改造バイクはそのまま、コンバインで刈り取られた田んぼへ降り、縫製されたもみ米袋のところまで行って、ひょいっとバイクの前部にそれを載せると、そのまま、来た道を全速力で戻っていきました。この間、わずか数秒。轟音を鳴り響かせながら、次から次へと改造バイクがもみ米袋を運んでいきます。
農民は彼らを「バイクタクシー」と呼んでいます。30分で約100袋を運び出すことができるそうです。バイクタクシーは、1袋当り1万ルピアを支払われますが、その原資の半分は袋付け作業を行う農民から、残り半分は水田の所有者から支払われるそうです。
バイクタクシーの雄姿
この様子を見ながら、人間って素晴らしいと思いました。なぜなら、限られた環境の中で、どのように対処するかを常に考えて、その場所・場所で最も効果的かつ効率的な方法を編み出すものだと思ったからです。
●機械化で新たに考えなければならなくなったこと
コンバインが導入されて、収穫作業はものすごく楽になりました。ピンラン県では、田植えでも、苗を作って植えるよりも、たくさん穴のあいた長いパイプ状のドラム缶のようなものにもみ米を入れて、それをゴロゴロ転がして直播をするほうが一般的になりました。
農作業をいかに楽にするか。これが農作業における様々な工夫と機械化による省力化を進めていく大きな動機であることは言うまでもありません。この点は、若い世代にとっての農業の魅力を高めるうえでも、重要なポイントになると考えます。
他方、コンバインが導入されたことで、逆に効率が悪化する面も出ています。それは、精米所をめぐる事情です。
コンバインが導入され、効率的にコメが収穫されるようになったのですが、それに伴い、精米所へ一度に持ち込まれるもみ米の量が急増し、一時的にもみ乾燥や精米の能力を超えてしまうようになったのです。このため、一部のもみ米は滞留せざるを得ず、その間は乾燥できずに含水量が多いままなので、コメの品質が悪化してしまいます。
オートバイで精米所の天日干しのもみ米を広げる
すなわち、コンバインの導入と同時に、もみ乾燥や精米の能力も高めていく必要があるということです。もちろん、それは収穫期が集中するという問題でもあるので、水田ごとにいかに収穫期をずらすマネジメントをするかということも大きく問われてくることになります。
米作農業をめぐる機械化はまだ本格化したばかりで、試行錯誤ではありますが、政府が供与した農業機械が適切な呼び水となって、民間による農業機械購入を促し、どこでその機会が必要とされているかの情報を駆使して民間が機会をうまく活用する、というのが、農協を中心とした日本の農業機械化の経験とは大きく異なる、注目すべき動きであると思います。
インドネシアの米作農業は平野部だけでなく、山間部でも行われており、ここで述べた現象が一般化するかどうかはまだ疑問ですが、注目すべき動きであることは確かだろうと考えます。
(松井和久)
読者コメント
ahmadhito
一般公開 ギアツのインボリューション論やジャワ農村の米作事情を学生時...