よりどりインドネシア

2017年08月22日号 vol.4【無料全文公開】

カーニバルでまちおこし:ジュンブルの挑戦(松井和久)

2020年04月18日 12:41 by Matsui-Glocal

日本では一年中、全国のどこかでお祭りのない日はないぐらい、たくさんのお祭りがあります。祭りカレンダーというサイト(http://www.omatsuri.com/sch/)さえあるほどです。さすが、八百万の神を祀っている国だけのことはあります。

ところが、かつてインドネシアに住んでいたときには、日本のあの祭りのようなイベントがほとんど見当たりませんでした。もちろん、イスラム教徒の祝う断食明け大祭(イドゥル・フィトゥリ)やキリスト教徒の祝うクリスマスなど、主な宗教行事を除いて、そして最近のやたら花火を打ち上げる新年などを除いて、お祭りのようなイベントを見かけることはありませんでした。

実は、それがちょっとつまらないと思っていました。でも、最近は、ちょっと様子が変わってきたようです。

現在、インドネシア全国で、20以上の都市でカーニバルという名のイベントが催されていることをご存知でしたでしょうか。2014年には、インドネシア・カーニバル協会(Asosiasi Karnaval Indonesia: AKARI)が設立されているのです。そう、インドネシアは、いつの間にか、お祭りに満ちあふれる国へ変わっていたのです。

その始まりの場所は、首都ジャカルタではなく、東ジャワ州ジュンブル県でした。いったい、どうして、田舎町のジュンブルからカーニバル・ブームが始まったのでしょうか。 

●それはジュンブルから始まった

インドネシアで最初のカーニバルという名のイベントは、2001年に東ジャワ州ジュンブル県で始まりました。今年で17回を数えるジュンブル・ファッション・カーニバルです。

今年は2017年8月9〜13日に開催され、ジョコ・ウィドド大統領も出席しました。大統領は、「アメリカのパサデナ、ブラジルのリオなどのカーニバルに負けない内容だ」と誇らしげでした。

ジュンブル・ファッション・カーニバルについては、以下のような記事があります(英語版のみを挙げておきます)。

- Jember Fashion Carnival Official Site

- Jember Fashion Carnival 2017 attracts local and international photojournalists

●カーニバルが始まった理由

総合プロデューサーを務めるディナンド・ファリズ氏がジュンブル・ファッション・カーニバルを提唱したのには理由がありました。

ジュンブル県は農業県で、とくに葉タバコ栽培の全国的な中心地です。オランダ植民地時代から品質の良いタバコ、とくに葉巻用のタバコの産地として知られ、ヨーロッパにも輸出されてきました。

しかし、近年の禁煙運動の影響でタバコへの需要が減少し、県内のタバコ工場が次々に閉鎖されて、失業が広がりました。とりわけ、失業した若者たちは、懐疑的かつ非生産的となり、加えて、インターネットやテレビなどのメディアが彼らをより受動的にしてしまいました。

ファリズ氏は、こうした状況をジュンブル県の未来への危機と認識しました。彼は、ファッションを通じて若者たちにライフ・スキルを学ばせることで、創造性を促し、協力を構築し、自信をもたせ、リーダーシップを発揮させる機会が必要だと考え、ジュンブル・ファッション・カーニバルを考案したのです。

●カーニバルの手法

ジュンブル・ファッション・カーニバルは、毎年異なるテーマで様々なファッションを提示します。これまでに、バリ爆弾事件やスマトラ沖地震・津波などがテーマとなりました。参加する若者たちは、これらのテーマを通じて、グローバルな現象を学び、コスチュームのデザインや音楽を創造し、表現していきます。

今年のメインテーマは「多様性の中の統一の勝利」で、スリウィジャヤ王国、バリ、パプアの王、神秘のトラジャ、ランプンのシガー冠、ボルネオ、ボロブドゥール・クロニクル、素晴らしきブタウィなど10テーマでコスチュームを競いました。

ジュンブル・ファッション・カーニバルでは、各チームがカテゴリー別に競い、優勝チームには奨学金が送られます。クライマックスは、参加者のデザインしたコスチュームをまとった総勢400人以上の路上パレードで、沿道には約10万人以上の観客があふれます。

●まちおこしの一環としてのカーニバル

ジュンブル・ファッション・カーニバルは、地域経済にも多彩な恩恵をもたらします。デザイナーはもちろんのこと、地元の仕立屋、アクセサリー屋、ハンディクラフト屋などが動員され、新たなファッション・デザイン産業が生まれます。さらに、カーニバルを観に来た観光客向けの飲食店、ホテル、露天商(カキリマ)が潤うことは言うまでもありません。

その後、2008年、中ジャワ州ソロ市では、ジョコウィ市長(当時。現大統領)の下で、初めてのソロ・バティック・カーニバルが開催されました。その際、ファリズ氏率いるJFCの52名が参加し、先導役を務めました。

ソロ・バティック・カーニバルは、「ソロがイスラム強硬派の本拠地」というイメージを払拭する目的で開始され、今ではジュンブル・ファッション・カーニバルと並ぶ規模のカーニバルへ成長しました。

こうして、インドネシアの地方都市で今、カーニバルを活かしたまちおこしが広まりつつあるのです。

(松井和久)

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