●マカッサル国際作家フェスティバルとは
私がマカッサルに初めて行ったのは1987年で、その後、1996~2001年、2006~2010年の計8年半滞在しました。私にとっては、故郷のような大事な町です。そしてそれは、マカッサルで活動する地元の仲間たちと深く結びつくようになったためでもあります。
その仲間たちが7年前から開催しているのが、マカッサル国際作家フェスティバル(Makassar International Writers Festival [MIWF])です。実行主体はルマタ(Rumata’:マカッサル語で「あなたの家」という意味)という団体で、今やインドネシアを代表する映画監督であるリリ・レザ氏と地元出身でメルボルン在住の小説家リリ・ユリアンティさんの二人が主宰しています。実は、私もこの団体の設立に若干関わっているのですが、そのいきさつはここでは省きます。
今年のマカッサル国際作家フェスティバルは、5月17~20日、ロッテルダム要塞を中心に開催されました。ロッテルダム要塞は現在、博物館などを含む文化施設になっており、マカッサル市内の観光スポットとしても知られています。
●フェスティバルのテーマは「多様性」
今回のテーマは「多様性」でした。先のジャカルタ首都特別州知事選挙の際に見られたような、少数派に対する多数派の横暴という状況を鑑み、マカッサルから多様性を認め、それぞれの存在を尊重し合いながら、多様性が力となる社会を作るために声を上げていこう、という趣旨がそこにあります。
参加者の多くは、地元マカッサルの若者たちでしたが、スピーカーとして、オーストラリア、シンガポール、中国など外国やジャカルタなどからの参加者もいました(今回、日本からは私一人でしたが)。
いくつものセッションのなかには、宗教や種族間の抗争を克服するために文学は何ができるかについての討論や、多様性における女性や少数者の役割、インドネシアでの移動図書館の試みなどについての議論のほか、詩の朗読やパフォーマンス、歌や踊りなど多彩な催しが続きました。
私は、5年前から「東インドネシアの有望な若手作家の発掘」というセッションのスポンサーを務めており、今年も、面白い若手作家たちと知り合うことができました。また、今回のフェスティバルに合わせて、過去にこのセッションで発表した作品集も発刊されました。下の写真は、彼らと一緒に撮ったものです。
マカッサル国際作家フェスティバルは、南スラウェシ州政府やマカッサル市政府からは一切資金を得ず、民間企業などからの賛助金で運営できる体制を5年前から採り続けています。日本の国際交流基金もスポンサーとなっています。
「特定の政治や思想や宗教に偏ることなく、このフェスティバルは、すべての人々にとっての多様性を吸い込んだ家になる」というリリ・ユリアンティさんの力強い演説は、「多様性の統一」を掲げるインドネシアの将来にまだまだ期待を抱かせるものでした。
●マカッサルから発信する意味
マカッサルの人々は一本気で、気性が荒く、すぐに感情的になる、などとよく言われます。何かあると、すぐに学生たちが路上でデモを行うなど、粗野で乱暴という意味の「カサール」というインドネシア語に絡めて、「マカッサルはカサールな町だ」と評されることもしばしばです。
そんなマカッサルの悪いイメージを払拭したい、変えたい、という地元の若者たちの思いもまた、このフェスティバルには込められています。
ちなみに、悪いイメージを変えたい、と立ち上がって改革を進めた町としてインドネシアで有名なのは、中ジャワ州ソロ市、その先頭に立ったのがジョコ・ウィドド市長(当時)、現大統領でした。当時のソロは、イスラム過激派グループの一大拠点とみなされていたのでした。話が少しそれました。
マカッサルという地方都市、ローカルから発信し、それをグローバルへとつなげていく。まずそのためには、ローカルの価値を大事にし、その価値を外部者が認識したうえで、マカッサル以外のローカルとグローバルにつながっていく。私が活動の幹に掲げるグローカルを実践し続けるイベントでもあるのです。
来年のマカッサル国際作家フェスティバルでは、マカッサルの仲間と一緒に、日本とつなぐ新たな取り組みを構想しています。実現の暁には、また、皆さんにお知らせいたします。乞うご期待。
(松井和久)
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